「見た、パパ。猿みたいで可愛いでしょ。パパを呼ぶってことを知らせてなかったから、緊張したのね。悪かったかな」
指差しながら笑う結愛に、父は電子タバコの煙を吐き切って、強く言った。
「確かに、騙したお前は良くない。しかし、結婚を真剣に考えている男が、あんな無様な逃げ方するか」
結愛の顔から一瞬で笑いが消えた。それを見届けてから、父はため息をついた。
「あいつは駄目だ。これ以上深入りするな。やめとけ。やめとくんだ」
呆然とする結愛を置いて、父は部屋を後にした。部屋には、ワオと父のために結愛が用意した紅茶のパウンドケーキが西日に照らされて残されていた。
幸せの兆しは、予想もしていないところからやって来る。来てほしいと藻掻いている時には来ない。兆しが見えたら、捕まえておく努力をしなければならない。しかし、幸せは努力をしないと繋ぎ留められないものだろうか。自然と幸せになれる人間がいるのに、努力をしないと幸せになれない人間がいるのはどういうことだろうか。
だから人は運命やら時代のせいにする。自分ではどうしようもない存在を認めることで、自分を許そうとする。そうでないと、今日一日、厳しい風の中で立っていられない。結愛は、賭けに出た。しかし、それは誤算でしかなかった。
「どうして、ワオさん……」
結愛はひたすら、パウンドケーキをフォークで刻んでボロボロにした。西日は、いつの間にか夜の闇に消えていった。