鏡
どうやら自分はかなり寂しいようだった
寒村の土手のそこかしこに
赤紫の穂をのぞかせ始めたススキをなびかせる風が
涼しいを通り越してやや肌寒くなってきていた
少し前までの
いつも周りに人のいる状態から
ほとんど人のいない寒村に飛び込んできたのだから
そうなることは容易に想像は出来た筈なのだが
そうした想像をはるかに超えて
初秋の風は自分の透明な身体の中を
やすやすと吹き抜けていった
人は「他人」という鏡に映って
初めて外側から自分を見ることができる
そしてそうした瞬間が多ければ多い程
生きているという実感が濃くなる
逆にそうした瞬間が少なければ少ない程
生きているという実感が希薄になっていく
気づいた時
自分は
いつのまにか中身が真空のポリタンクになっていた
生きているという実感があるとすれば
そのきしむような痛みばかり
肉体に病気や怪我があるように
心にもそれはある
肉体的に一番基本である呼吸が
どうにも苦しくなることがあるように
心にもそれはある
ただ
心の痛みは悪夢のように実体がなく
肉体の痛みのように明らかな対処法がなかった
何か
せめて自分を忘れて時間をつぶせるものがあれば
少しは違っていたのかもしれない
だが
都会での蹉跌(さてつ)の
繰り返しを恐れた自分は
パソコンもスマホもこの生活に持ち込んでいなかった
寝入る時や散歩中に時折使うウォークマンのみ
唯一持参していたが
気分の波のひどい時には
音楽すらも恐ろしく遠くに
プラスチックな質感を残した