『サリエルの命題』/楡周平/講談社(2019年6月発行)

【作品概要】

日本海のある孤島で新型インフルエンザウイルスによる感染症が発生する。サリエルと名付けられたウイルスは、人為的に作られたことが判明する。対応するワクチンの開発は極めて困難をきわめ、その接種順位も大きな問題となる。

〈サリエル……「神の命令」という名の大天使であり死を司る。医療に通じ、癒す者とされる一方で、一瞥で相手を死に至らしめる強大な魔力「邪視」の力を持つ堕天使〉

【あらすじ】

アメリカ アトランタ市にあるCDC(アメリカ疾病予防管理センター)でインフルエンザウイルスの研究をしていた笠井久秀が5年目にして研究を中止して帰国せよとの命が出る。インフルエンザウイルスがバイオ兵器の開発の恐れがあるというのが理由であった。その背後にはウイルス学の権威・八重樫栄蔵教授の存在があった。

東京大学の医学部でウイルスの遺伝子構造の研究をしていた野原誠司は、八重樫教授から地方の国立大学への異動を命ぜられる。野原はウイルス関連のサイトで偶然、サリエルの存在を知ることになる。

笠井はアメリカのCDCを去る際に同僚であったカシスからサリエルの情報が流失したことを知らされる。サリエルとは、他のウイルスを容易に変質させることができるためバイオ兵器など悪意に利用される可能性があるウイルスであった。

バイオ関連のベンチャー企業を立ち上げる機会を探っていた野原は、レイノルズ教授に会うためにアメリカ ロチェスター市を訪問していた。そこで教授があの恐ろしいサリエルの製造に成功していたことを知った。

八重樫教授は、両親の命日の墓参のため生家のある黒川島を毎年訪れていた。

墓参を済ませた翌朝「新型インフルエンザか 島民全員死亡」のニュースが朝刊に載った。実は、レイノルズに通じた野原が、封筒に閉じ込めて八重樫に送り付けたサリエルウイルスが黒川島に拡散したことが判明した。宮城県の鈴森町で肺炎と脳症の併発というインフルエンザ感染者が発生した。変異したウイルスの感染の疑いがもたれた。

日本のある製薬会社がトレドールという変異したサリエルウイルス治療薬の開発に成功した。鈴森町の病院でトレドールの投薬がはじまった。備蓄は35万人分しかなくしかも製造できる会社は1社しかないという。

パンデミックに拡大した場合その対応はどうなるのか。厚生労働省では新型インフルエンザが発生した場合には「パンデミックワクチン接種の考え方」というガイドを作っている。このガイドでは高齢者は最後になっていることに大きな批判が巻き起こった。接種の順序をどうするかでマスコミをも巻き込み大問題となった。

【感想】

本書では感染症患者へのワクチンが不足した場合、接種の優先順位を決めるという人命尊重にかかわる大問題を、サリエルウイルス感染という事件に関連させて取り上げている。

現在のコロナ禍の中で人類が直面しているワクチン問題と重なり興味深いテーマである。先の見えない日本の医療制度や健康保険制度にも鋭いメスが入っている。数々の社会小説を世に送り出してきた楡周平氏の面目躍如の作品と言える。

 

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