中村家の先祖は、戦国時代に石田三成の家来で御傍御用鉄砲隊を統括指揮していた、上原善衛門配下の八郎太という足軽鉄砲隊組頭だった。下級の地位ではあったが、三成警護という重要な役割の中で戦功を上げ、上田という姓を三成から頂戴した。以来、上田八郎太として善衛門のために、ひいては三成のために命をかけて働いていた。
善衛門がこの八郎太を重用していたのには理由があった。八郎太には、生まれたときから額に小さなふたつの角があった。生まれてすぐにそのことが世間に知れ渡り、そのため八郎太は、『鬼子』として隣近所から恐れられ、忌み嫌われた。彼の家は農家で、彼が男子の八番目という子宝に恵まれた家庭であったこともあり、口減らしという口実で、まだ乳離れもしていない幼い頃に親に捨てられた。
山の荒れ寺で拾われた八郎太は、この寺の信仰の厚い檀家の女房の乳をもらい育てられた。寺にたくさん訪れる旅の修行僧に混じって、八郎太は仏教の教えを学んでいくと同時に、彼らから護身術を学び成長していった。そして十四歳になったとき、彼は寺を飛び出した。
次回更新は7月12日(土)、22時の予定です。
【イチオシ記事】「浮気とかしないの?」「試してみますか?」冗談で言ったつもりだったがその後オトコとオンナになった
【注目記事】そっと乱れた毛布を直し、「午後4時38分に亡くなられました」と家族に低い声で告げ、一歩下がって手を合わせ頭を垂たれた