ヌシは、白い砂が敷かれたトレイの中で、不貞腐(ふてくさ)れたような顔をして、こちらを見ていた。おいおい、そこは寝るところではないよ。大丈夫だろうか、変わった猫もいるものだ。
可愛い子猫たちの中で、一匹だけ中途半端に育った、変な目つきのアメリカン・ショートヘア。それが、ヌシの第一印象だった。
ヌシはテーマパークに来るカップルや子ども、ファミリーと一緒に写真に撮られるモデル役を担う猫だった。多くのお客さんと接するため、毎日くたくたになってがんばっていると、お店の女性スタッフが教えてくれた。
ヌシのお父さんは、名高いアメショーらしく、犬猫パークのパンフレットにも載っていて、展示された表札付きの檻の中に住んでいた。ヌシのお母さんもパークの入り口で、入場者になでられたりと、接客をしていた。
「よかったら、ちょっと抱っこしてみませんか」
人肌よりももう少し温かい、そして思った以上に軽いヌシを不安定に抱えた。ヌシは「もうすぐ餌の時間なのにまだ仕事?」と言わんばかりの不機嫌そうな表情でわたしを見た。バッチリ目が合ってしまった。いやいやいや、お互い違うだろう。
しかしうちに帰ってからも意外に軽かったヌシの感触が手に残っていて忘れられない。ちゃんと食べているのだろうか。そう思うと寝不足になった。
一週間後、目の下にクマをつくったわたしが思い切って「この子がほしい」と申し出ると、ショップの女性スタッフは、嬉しそうに旅立ちの準備をしてくれたが、用意が整ってお別れの時になると少し涙ぐんでいた。ヌシはこのパークに長くいたので、いつしか情が移ってしまったのだろう。
「ああ、ごめんなさい」と、用意した子猫用の箱が小さすぎて使えず、泣き笑いしていた。
ヌシは、この空間で、わたしが考えるよりもたくさんのことを経験してきたのかもしれない。用意した猫缶をあっという間に平らげた。満足気な猫の寝姿を見て、わたしもやっと安心して寝ることができた。グレーと黒の痩せた身体をそっと抱き寄せると、ほのかに、さっき飲んでいたミルクの香りがした。猫の吐息で、ないだ水面がふわりと揺れる。そんなミルクの海に揺蕩(たゆた)う夢を見た。
【イチオシ記事】「今日で最後にしましょ」不倫相手と別れた十か月後、二人目の子供が生まれた…。W不倫の夫婦の秘密にまみれた家族関係とは
【注目記事】流産を繰り返し、42歳、不妊治療の末ようやく授かった第二子。発達の異常はない。だが、直感で「この子は何か違う」と…