私は、強気だが非常に脆い一面がある。強気に生きた後で、どうしようもない寂しさに襲われる。それは、日々繰り返されることだ。自分の居心地のいい空間をひたすら求めていたし、自分を無条件に受け入れてくれる人をずっと探していた。

本来は、そんな環境もそんな人も存在するわけがないとわかっているけれども探しているのだった。それを輝く草原と呼び、普遍的な愛と呼んでいるが、人々にとってはそれが家族であり、故郷であり、実家なのだろう。

私には帰る場所がないからそれを探す旅を続けているが、旅の目的が、居場所を探すことになっているから難しい。何故なら、それは探すものではなくて自分で創るものだからだ。

自分の意思でその場所を決め、そこから自分の故郷のようなものを形成して行かなければならない。そこには普遍的な愛情というものは存在しないということもわかっている。

出会う人全てに親のような愛情を求めているわけではない。傍観者としてエールを送ってもらいたいだけだ。昔は違った。やはり、出会う人々に対して欲深い部分があった。表面には出さないが、心のどこかで他人という括りを受け入れられなかった。

しかしそれらはもう解決済みであり、むしろ社会に愛されることを探っている部分の方が大きい。割り切りができすぎてしまったことは問題かもしれない。何故なら、一生車とぬいぐるみを家族としていていいわけがないだろう。

私は、本当は人恋しくて仕方がないのにいつまでも車とぬいぐるみを家族としている。そんな私のことをずっと愛して欲しいと思っていて、そんな自分のことをいつまでも愛していたいと思っている。

エリックサティは言う。「自分が教祖で、信者は自分だけだ」と。

この言葉にとても共感した。だから富山の魚津の会館でグノシエンヌを弾いたのだ。魚津の会館というのは、私にとって教会のようなものだった。

ちょうどあの頃も雪が深々と降り、私は姉のような存在の女性と一緒に魚津の会館へ通ったのだった。