何たる能天気、とてもついていけやしない同級生の男の子があきれて言ったまあ、いいじゃない

ケーキ屋のショーウィンドーにはいつも最新作のお菓子が飾られて、店主の気概を見せていた

金物店、薬屋、化粧品店、八百屋さんどの店にも顔馴染みの人が働いていた

昼も夜も判を彫り続けるおじさんは何時に仕事を終えたのだろう長年同じ姿勢の彼の頭だけが白くなっていったパチンコ屋の客足を覗き、肉屋の旨い匂いを嗅ぐともうそこは私の街だったそしてそこいらあたりから、急に店が途切れ道が暗くなった

私が幸福を意識しないぐらいに幸福だった時代の通り慣れた路の話である

きみの心の小箱にもあるだろうか大人になっても消えない小さな路が

清少納言のように

日本ではすべてのことが春に始まります。新しい制服に身を包んだ新入生や新入社員達が期待に胸をふくらませ、新しい生活へのやる気に満ちています。私が退屈な受験勉強から解放されたのも春でした。

春は又、出会いと別れの季節でもあります。何年か勤めた学校を去り、新しい赴任地に向かうのも春でした。生徒達は別れの度に涙を浮かべて、

「ありがとうございました。さようなら」と言うのです。

別れの場面で、日本人はよく泣きます。

新しい学校へ通う山道のほとりには、桜や藤、山吹に菫などさまざまな春の花が咲き、別れの寂しさに沈みがちな心を慰めてくれたものです。

一度は野原に憩う雉を見ました。道を這う亀さんも。私は夕方暗がりの中で、田圃の畦道が焼かれているのを見るのが好きです。草の焼ける匂いもいいものです。

夏は、夜の間に冷えた大気の爽やかさがまだ残っている10時前の朝が好きです。澄んだ空気の中で朝の光が布団にあたっているのを見た時、突然中国の朝を思い出しました。

仕事に向かう北京の人々に挨拶をしたあの朝の思い出、太極拳をする老人達やカンフーの練習をする子ども達を見たあの上海の朝が蘇ってきたのです。

夕方は「ホッ」とするひとときです。私が広島県三次市に住んで、長男のために 1 年間の育児休業を取っていた時は近所の主婦達が外に出て、夕涼みをしながらおしゃべりを楽しんだものです。

家の中では夕暮れ時になると、蜩の鳴く声が降り注ぐように聞こえてきました。それを聞いていると、この世(此岸)にいるのか、あの世(彼岸)にいるのか分からない心持ちになるのでした。

花火や蛍は儚くも美しいものです。沢山のランプを吊した烏賊釣り船が海を照らしているのは幻想的でもあります。風にそよぐ風鈴の音は夏に涼しさを運んでくれます。

 

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