ハルビン工業大学大学院に入学
厳しい修士試験をパスして私は1983年9月、ハルビン工業大学大学院に入学しました。
電車で中国の一番西の都市・新疆から一番東のハルビン市まで6日間かかりました。大学院では3年間金属の摩擦摩耗を研究して修士号を取得しました。また初めて日本語を外国語として勉強しましたが、本を読んだり少し文章を書いたりできる程度でした。
ハルビン工業大学にいたとき、夏休み期間学校に来た千葉工業大学の学生と日本語を少し話したことがあり、挨拶ぐらいしかわかりませんでしたが、初めて日本人の生の声が聞こえました。
1986年7月、修士学位を取って卒業した後、北京の会社か、あるいは政府機関で働こうとしましたが、当時の卒業制度では、なかなか難しくて、西安理工大学の先生に呼ばれて母校に戻って、金属学の講師として働きました。同時に若い教師と修士を管理したりしたこともありました。
福井大学の荒井先生との出会い
西安理工大学で働いていた1987年4月、福井大学工学部の荒井克彦先生が西安理工大学水利学部に客員教員として来られて、三ヶ月間滞在して講義をされました。
そのとき、当時その学部では日本語がうまくて通訳できる先生はいなかったので、大変困りました。そこで、学校の外事弁公室の範主任が「ジンさんは日本語がうまそうで、頭が良いし、通訳できる」と、私を李建中・水利学部長に推薦しました。面接してすぐ決められたので、その学部のために荒井先生を上海へ出迎えに行って、荒井先生が講義をされたときの通訳をしました。