【前回の記事を読む】「誰、どうして」…壁一つ隔てた夫の部屋から、かすかに女性の声が聞こえた夜。
迷いながら揺れ動く女のこころ
美代子は約束の時間、十一時より少し早めに自由が丘駅に着いたので、ロータリーをぐるりと一周してから以前にも覗いたことがある、ブティックのショーウインドウの前に立っていた。
今年の秋、冬物のはやりの色は何だろうと、マネキンが着ているワンピースに目が留まった。“今年もブドウ色か”と独り言を言いながら、丁度二年前、花帆、結衣達とここで会った時も確かブドウ色だったと思い出していた。流行は繰り返すんだ、と一人納得しながらカフェ“花梨”の方向へ歩を進めた。すると駅の方向から結衣の呼ぶ声がした。立ち止まって結衣を待った。
「久しぶりだね、元気だった?」
と少し上ずった声で結衣が話し掛けてきた。
「何とかね」
「新婚さんというのに少し暗いわね。スペイン旅行の話とか、生活ぶりをたっぷり聞かせてもらおうと思っていたのに」
「大丈夫よ。そんなに落ち込んではいないわ。気のせいよ」
ロータリーの時計が十一時のチャイムを奏でていた。確かカフェも十一時が開店時間のはず、と思いながら、この時間なら奥まった所の指定席が確保出来るはずと、花帆にも会える嬉しさで気分が浮き浮きしていた。“花梨”のガラスドアを押して入ると、見慣れたスタッフが
「いらっしゃいませ、こんにちは」
と挨拶してくれたので、軽く会釈をして、奥まった指定席の方に向かった。美代子が一番乗りの客だった。朝一ということもあり、店内の空気は澄み切ったように、余計な香りが漂っていなかった。ただかすかに甘い洋菓子の香りがした。いつもの指定席に壁を背にして座った。入り口がよく見通せる。
店内の装飾や器を収納したサイドボードを眺めながら、ガラス窓越しに外に目をやったとき、花帆が通り過ぎたのが見えた。