あの人とはじめて会ったその日から、世界史の授業が毎日待ち遠しくなった。

あの人はいつも授業のチャイムきっかりに教室のドアを開けた。

そして、生徒が騒がしく席に着く中、足音もなく静かに教壇に上がり、ノートを広げ、ネクタイの位置を直した。あの人が口を開くのは全員が席に着き、学級委員長の女子が号令をかけた後だった。

「えっと、それでは授業をはじめます」

あの人はまるで新任の教師のように自信なさそうに小さな声でそう言った。

「今日は十九ページを開いてください。ギリシャ文明と書いてあるところです」

あの人は生徒のほうをめったに見なかった。見るのはたいてい教科書か、表紙がぼろぼろの大学ノートか黒板だった。

たとえ生徒が話を聞いていなくても淡々と授業を進めた。まるで自分がやるべきことはテストまでにその範囲を終わらせることだけだというように。場を和ませる冗談を言うことも、さらには生徒の理解度を確かめるために質問をすることもなかった。その代わり、黒板に角張ったくせのある字で読み切れないほどの字を書いた。

おそらく、あの人が生徒に嫌われたのは第一にその見た目のせいだったが、それ以上に授業のやり方のせいもあったに違いない。見方によっては、それはあまりにも自分勝手で、生徒を無視したやり方だった。

他の先生がいかにして生徒の興味を引き、楽しく勉強できるか苦心する中、あの人はなんの工夫もせず、教科書の流れに沿って授業をした。

生徒がついてこないのはある意味当然だった。実際、あの人の授業では多くの生徒が寝たり、他の教科の宿題をしたり、教科書の陰で携帯をいじったりしていた。あの人が黒板に書いた文字をすべてノートに写していた人は数えるほどだったにちがいない。

ただあの人を擁護するなら、一見単調で面白味のない授業だったが、注意深く耳を澄まして聞くと、そこには歴史に対する深い愛情があった。あの人の口からはときに教科書に書いてない歴史の逸話や偉人の意外なエピソードが語られた。

あるときは、樽の中で暮らしたと言われるディオゲネスについて小さな声で延々と話すこともあったし、あるときはヘレニズム時代のアレクサンドリアについて熱く説明することもあった。そういうときのあの人の目は生き生きとして輝いていた。

次回更新は3月10日(月)、20時の予定です。

 

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