母の言葉

そう言って右手を顔の前でヒラヒラさせた。さらに埒もない喧嘩の内容をグダグダと美紀を相手に喋り出した。美紀は適当に相槌を打ち、欠伸を噛み殺しながら聞く振りをしていた。

客の話は九割九分が愚痴と自慢話だ。しかし、酔った客は本音で語るので話の端々から町で起こっている大抵のことは知ることができた。

美紀は町の情報通であり、客の話す町の出来事に大抵は合わすことができた。客が二度、三度とくどいほど話すことも一度はキチンと耳を傾けた。

これは、亡くなった智子が伝授した店で客と話を合わせるための接客手法の一つだった。話の途中だったが、ボックス席の客に呼ばれたのを口実に美紀は客の前から移動し、目顔で康代に交代の合図を送った。

「いらっしゃい」

康代がそう言ってカウンターの客の所に遣って来た。空になり掛けたグラスに焼酎を注ぎ、アイスペールから角氷を入れる。客は美紀に話した内容を再び康代に初めから話し始めた。

客は二回も話を聞いて貰ったことで胸のつかえが下りたのかそのうち康代の着ている服の話になった。

「康代ちゃん、ここじゃいつもドレスだけど、一度康代ちゃんの着物姿も見てみたいな」

「あら、買って下さるの?」

「買ってやってもいいけど、俺はしつこいぜ」

客がニヤリといやらしく笑った。

「いやね、話をすぐそっちの方にもっていくんだから」

康代はそう言いながらやんわりとあらぬ方向へ話が進むことを拒んだ。誰が着物一枚ぐらいでお前のオモチャになどなるものか、あほうが。そう思いながら康代は客の奢りのビールを一気に飲み干した。

客の相手をするホステスの顔に多少相手を小馬鹿にした表情が表れても相手は思考力の鈍った酔い客だ。心の内まで読まれる心配は無いだろうと美紀は思っている。