父への恨みと後悔
「ねえ、覚えている? 随分昔のことだけどお父さんの葬式のとき、お母さんはどうして泣きもせずずっと怖い顔をしていたの?」
一人苦労を重ねて来た母には決して触れてはならない話題だったかもしれない。そう言ってしまった瞬間、美紀は智子が怒り出すのを予想した。
しかし、そう訊かれ、美紀に向き直った智子の頬の削げた顔にふわりとした笑みが溢れた。
「お前はまだ、小学校の二年生か三年生やった。そしてあの日も今日と同じように雪が舞っていたね。寒い日やった。窓から降る雪を見て母さんも思い出したところさ。親子やね」
懐かしく楽しいことでも思い出したかのように智子は遠い目をした。外の寒さに対抗するかのように病室の暖房は頭がボーッとするほどに効いていた。
「あのときは、私やお前を裏切ったお前の父親を許せんかった。腹立たしくて腹の中が煮えくり返ったよ。浮気を知って大喧嘩になってね。
食わして貰っている身で偉そうに言うな。俺は、板子一枚下は地獄といわれる船に乗って命を懸けて稼いでいるんや。嫁や子に餌さえ与えておけばあとは何をしても俺の勝手やないか。じゃかましいとまで言われた……。
お父さんのことは何もかもわかっていると思っていた。やけど、そのとき、この男は私たちのことをそんな風にしか考えていないのかと堪らなく虚しくなった。母さんはこの男に何を見ていたんやろとも思った。
あの日は、誕生日やというので大きめのケーキを買い、少し気合を入れて御馳走を作って日頃の苦労に感謝でもしようと思っていた日やった。
家庭を顧みず陰で母さんに舌を出しながら他の女にうつつを抜かしていた男に感謝をしようとしていた自分の馬鹿さ加減にも腹が立ち、頭にカーッと血がのぼった。
母さんもまだ若かったからね。こんな腐ったような男に今後は金輪際頼るものかと思った。もう一緒に笑うことなど絶対にできへん。他の女を弄り回した汚い手で触れられるのも堪らなく嫌やと思った。お前を連れて別れようとも。そう腹を括れば遠慮はいらなくなった。
親戚を味方につけてお前の父さんの遣ることなすことすべてにケチをつけ、ろくに口も利かないようにした。逆上せていたんやろね、母さんにはその先のことがキチンと見えてなかった。
そのうちお前の父さんは漁に出なくなり、家で塞ぎ込むようになった。いい気味やと思ったよ。そんな矢先だった、海に飛び込んだのは……。そのときも、やっぱりこいつは本当に身勝手な男やとしか思わんかった。こんな奴、死んでも当然。腹は立ったが悲しいとは思わんかった。