「え? どうしたの? なんか変なこと言っちゃった?」

あの人は笑うのを止めた。心配そうに見つめる目があった。私は自分が泣いていることに気づいた。これは現実だった。あの人は夢ではなかった。私を覗きこむあの人はそこに存在していた。

「違うんです。ただ嬉しくて……」

あの人は私を拒絶していなかった。すべて私の早とちりだった。私は絶望のどん底から一気に幸せの絶頂に上り詰めた。あまりにも大きな感情の落差に頭がついていかなかった。

「ごめんなさい。私、変ですよね。気にしないでください」

私は涙をぬぐった。自然と笑いが込み上げてきた。それを見てあの人も笑った。

「こっちこそ言うのが遅くなってごめんね。なかなかタイミングがなくて」

「全然平気です。それより気に入ってもらえて良かったです」

「美味しくて全部食べちゃったよ」

もう涙は出なかった。これが現実だとわかると、もう悲しみは跡形もなく消えた。

「気に入ってくれたならまた作りますよ」

「本当に?」

「本当です」

私はあの人の目を見た。あの人は私の思いに気づいただろうか。チョコに込められた思いを感じ取っただろうか。あの人はしかし、ただ笑っていた。今まで見た中で一番眩しい笑顔だった。

再び私の日常は輝きだした。その中心にいたのはもちろんあの人だった。私は二十四時間寝ているときでさえ夢であの人を思い続けた。むしろ現実が夢の延長線上にあるようだった。

そして、私をさらに喜ばせる出来事が起きた。いつものように廊下であの人と話しをしているとき、急に「そういえば、今度のホワイトデーは何か欲しい物はある?」と聞いてきたのだ。

「何でもいいよ。欲しい物を言ってくれて」

私はあの人がお返しのことまで考えてくれていたことが嬉しかった。

「特に欲しい物はないです」

あの人の気持ちだけで私は十分だった。でも、あの人はそれでは満足しなかった。

「あんな美味しいチョコをもらったんだからお礼ぐらいさせてよ」

「でも本当に欲しい物はないんです」

「じゃあ、叶えたいことでもいいよ」

「叶えたいことですか?」

そう言われると私の頭には次々と叶えたいことが浮かんだ。一番はあの人と手を繋いで歩くことだった。そして、耳元で「好きだ」と言ってほしかった。

「何かな?」

私はどうすればいいのか迷った。これはあの人との距離を縮める二度とないチャンスだった。逃したら一生後悔するだろう。私は必死に考えた。

「海に行きたいです」

 

【前回の記事を読む】私は神に祈る気持ちでチョコを差し出した。「食べたら感想聞かせてください」味ではなく、自分の気持ちに対する感想を。

本連載は今回で最終回です。

 

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