第四章 日系カナダ移民第一号

万蔵はこの口之津で生まれ育った。知り合いの兄貴のような人から、外国船に乗って仕事をすると給金も高いし、唐(中国)や天竺(インド)などの珍しい国を見て回れるぞ、と聞かされて育ち、いつか大きくなったら自分もそんな大きな船に乗って外国に行こうと決めていた。船の修理の手伝いや、漁に出る人の船に乗って漁の手伝いをしながら成長していった。

港近くで成長した万蔵は少し英語が話せたので、水夫としてイギリス船に船員の見習いとして雇われ乗り込むことになった。両親は、

「万蔵ももう一人前たい、自分の夢をはたさんばね。お金を貯めていつかは嫁さんをもらわんといかんしね」

そう言って送り出してくれた。万蔵が十八歳の時であった。船は煙突から黒い煙をモクモクと吐きながら口之津港を出航した。万蔵は船の中で石炭をくべる仕事に専念していたので、港に見送りに来ていた親に手を振ることもできなかった。

船は中国・インドを経由しハワイを目指して南下した。大海原に船が出て行くと、ようやく大きな船から、小さくなっていく日本の島々を見ることができた。万蔵はまだ見ぬ外国にいよいよ行けるのだと胸が高鳴った。船は、口之津港とは比べようもないほど立派な大きな港々に寄港しながら進んだ。外国の港には見たこともないような、大きな船がたくさん停泊していた。

何かのついでに船底に行った時に、万蔵は檻に入れられた若い娘たちを見つけた。何回か見るうちに話しかけられ、日本人だとわかりびっくりした。

「なんばしてこげんな檻に入れられとるんか、何か悪かことばしたんか」

万蔵が聞くと、貧しい家庭で育った娘たちが、家のために遠くの国に出稼ぎに行くのだという。島原や天草地方の貧しい寒村からの十三歳から十八歳くらいの子供たちだった。

「おっ父、おっ母」と泣いてばかりいる、まだ幼い顔をした七歳くらいの小さな子もいた。

両親が病気で亡くなり、六歳上の姉と一緒に連れてこられたのだった。