第一章 学園祭は決戦の場

今年も学園祭の季節がやって来る。

この富檣(ふしょう)高校の学園祭は、普通の学校とは、目的が違う。付属大学の進学率を高めるために、さまざまな工夫を凝らし、イベントを盛り上げなければならないのだ。

姉妹校である貴檣(きしょう)高校と学園祭の出来を競い、学園の上層部がそれを採点した結果に応じた指定校推薦枠の比率が決定されるようになっている。

ここ数年富檣高校は姉妹校に負け続け、半分も枠を確保していないとのこと。

今年こそは悲願を達成しなければならない雰囲気が学園に渦巻いている。

そもそも勉強に関係ない学園祭が、どうして付属大学進学に関係するのか、どうして姉妹校との学園祭の出来不出来で推薦入学のパーセンテージが決められるのか、疑問が噴出するところであるが、

理事長曰く、

一、社会に出てからの、全世界的なリベラルさの素養が見て取れる。

二、学園祭は全員で成し遂げる、国盗りのつもりで臨んでほしい。

三、勉強は当たり前のこと、だから非日常の折、どう動けるかを学んでほしい。

ほかにも、もろもろ理由は付け加えられているが、いつしかこれが伝統となった。

松本柚子(ゆず)が通っている富檣高校は学校法人富貴学園が運営している高校の一つである。この富貴学園の前身は、その昔海運業を営んでおり、尾張国の船主が所有する尾州廻船で江戸へ生産物を運び売却する「買い積み方式」により莫大な富を得た。

富貴家の総領洋一は十五で成人して船に乗り込み、一年ほど経つと水夫(かこ)を束ねるまでになるが、江戸への行き来の中で情勢の先を読む重要性に気付き、社会の仕組みや流れを読み解くためにも勉学が必要だと考えた。

そしてその頃、武家の子息だけでなく広く門戸を開けていた尾張藩藩校明倫堂にて学ぶことを決意した。そこでは漢学儒学算学だけでなく、広く世界のことも教えられていたのである。

一年半あまり経つ頃、国が西欧との不平等条約の改正と諸国の制度・文化などの調査や視察するために、岩倉卿を始め多くの人達が使節団に参加されることを聞き及んだ。

そしてその中に、明倫堂にて先輩に当たる田中不二麿氏が視使節団理事官として赴くことを知り、懇請して従者になり自費で付き従った。

田中氏の目的が教育制度の調査だったこともあり、世界の名だたる国々を知ることにより、学問の重要性と婦女子の社会進出を鑑み、世界に通用する人の育成に尽力することを目的に創られたのがこの学園である。

生徒数は三五〇人弱。全国レベルでみるとそんなに高位にあるわけではないが大学を持っており、尚且つお金に糸目をつけず造った校舎は豪奢で年月を重ね趣と優雅さを醸し出し、蔦の絡まりだけとっても写真映えし、男女共に割と人気がある。

高校の名前のなかにある『檣(しょう)』の字は、海運業の名残で、「船の帆柱(ほばしら)=マスト」を意味する。