〈野崎哲也の事情〉 進めない日々
病院のベッドの上で横たわっていた私(野崎哲也)は、スマホに表示される情報を目で追っていた。
最近はスマホの画面を数秒間見つめただけで、とてつもない倦怠感と苛立ちを覚える。
調子のいい日であれば、数行くらいならメッセージを打つこともできるが、最近は眺めているだけで気持ちが悪い。
それでもスマホを見ることをやめなかったのは、旅先で会った人たちから連絡が来るようになったからだ。
私は数日前から、フェイスブックに自分の心臓のことを書き始めた。
心臓に病を抱えたまま旅をしていたことや帰国してからのこと、今後自分がどうやって生きていくべきなのか、自らが日々感じている不安を綴った。整理されていない自分の気持ちを書き込むことには抵抗があったが、それでも何かを発信しないと自分がこのまま消えてしまうような気がして怖かった。
幸いにして理解のある仲間たちから励ましのメッセージが届くようになった。
自由の利かない私にとって、フェイスブックを通じて旅の思い出を振り返っているときが、唯一すべてを忘れられる安息の時間だった。薬で朦朧とする意識のなかでも、私は仲間からのメッセージを待っていた。
そんななか、私はフェイスブックで気になる投稿を目にした。
旅に出ているという祐介の投稿だ。
見舞いに来た祐介を追い返してしまってから、彼とは連絡を取っていなかった。あの日のことを後悔し、いつかひょっこり現れるであろう祐介を私は心のどこかで待っていた。
ところがそんな祐介がバックパッカーをしていたのである。
彼のフェイスブックには、自分がかつて訪れた見覚えのある街並みや景色が並んでいた。
はじめは祐介の思いもよらない行動に目を疑った。旅先で自分が成し遂げられなかったことを、彼が代わりに行っていたからだ。
私はその様子を見て忘れかけていたかつての好奇心や、美しい旅路を思い出した。複雑な感情が心の奥を締め付けた。私の精神状態は彼の行動を素直に受け入れる余裕はなかったのである。
祐介のフェイスブックの投稿に疑問や戸惑いを感じたが、私は特にメッセージを送ることもなくそれを静観した。
日に日に体調は悪くなっていった。
黒いタールのような靄が身体にまとわりついてくるようだった。
食欲もなく、満足に眠れない日々が続いた。
ボーッとする時間が増え、自分が今、ここに存在していないような錯覚に陥ることもあった。これらは心臓の病からくるものではなくストレスが原因とされ、担当医からは心療内科でカウンセリングを受けるように勧められた。睡眠導入剤が処方され、それがないと眠ることができなかった。
睡眠がコントロールできなくなってきたころから、廊下を歩く足音や同室の患者の生活音が気になったり、室内の蛍光灯やカーテンから漏れる外の光を見ると不安を感じたりするようになった。
スマホの画面から放たれる光も例外ではなかった。
それでも私はスマホを枕元に置き、仲間たちからの連絡を待っていた。