TVで、小さな子供が苦手な野菜を自分で育て、自分で調理すると、美味しいと言って食べられるようになると放映されているのを見たことがある。自分で作ったものは、どんなものでも美味しく感じるものだ。

千恵は独身時代、料理教室に通っていた。一人暮らしをしていたため、料理のレパートリーは多かった。クッキーやケーキを作ってくれたこともある。腕を振るった料理も自分は食べず、娘や私のために作り、

「ねえ、美味しい?」

と聞くのは辛かったようだ。それでも私たちが、「うん、美味しいよ」と言うと喜んでくれた。

我が家では、週末の夕飯を楽しく過ごすために、『居酒屋たろう』という名前の小さな看板を掲げ、三人で食事を取ることが多かった。どこにでもいる温かいイメージと、私が男の子も欲しかったという願望も込めてこの名を採用した。

メニュー表を作り、

「今夜、できるものはこの四品です」

そこから、娘と私が食物を選ぶ。メニューは、いくつか作っておき、月替わりとしていた。千恵が調理担当、私がホール担当、娘がお客という設定だ。たまに役割は変更する。

「お客さん、今日は活きのいい魚が入ってるよ」

とホール担当が言う。客である娘はそれを注文すると、焼き上がった魚を出す。まるで幼児のおままごとのようであるが、これが結構楽しく、家族団欒の時間となっていた。千恵がキッチンで微笑んでいた。

*

中学受験が目前に迫ってきた。私はどちらかと言うと、中学受験には関心は薄く、どこの学校でも入れればいいし、勉強ができなくても健康で素直な子供になってほしいと願っていたが、千恵の考えは違っていた。

私が小学生の時に住んでいたところでは、中学受験という言葉を耳にすることはなかった。受験する人は、学年で一名いるかどうかだった。