破局へのカウントダウン
七月八日(日)
やはり金曜日には帰らず、二日遅れて、今朝六時三十五分に帰宅。(お気楽なのは、どっちやねん……)
私は、この日も仕事に行って四時過ぎに戻り、晩御飯の支度をしておいたのだったが……。どこかへ出かけていた夫が七時頃に帰ってきて、これからまたすぐに出かけると言う。
帰りはそんなに遅くならないと言うので、それなら、食事は帰ってからするんだろうかと、そのまま見送ったら、玄関先でまた、「あーっ!」と唸るような叫び声をあげ、「なんで飯の用意がないんや!」と怒鳴り散らしながら車に乗り込んだ。そして、本当に、二、三時間ほどして戻ってくると、今度は雄叫(おたけ)びをあげながら浴室に直行してシャワーを浴び、ふたたび出かけていった。
(私がパートに出ることが、そんなに気に入らないことなんやろうか……)
この日を境に、夫は帰ってくると、深夜であろうが、朝方であろうが、昼間であろうが、夕方であろうが、時間に関係なく「なんで飯がないんや!」、「あーっ!」、「はぁー!」、「馬鹿か!」、「くそー!」などといったことを、毎日のように大声で叫んだり、怒鳴ったりするようになった。
朝起きてきてから出勤するまで、その声が響き渡っていたこともある。これは当然、ご近所にも聞こえていて、「DVか? 気をつけて……」と声をかけられたり、中学生くらいの子どもが、夫の怒鳴り声の真似をしながら、家の前を自転車で通り過ぎていくこともあったりした。
ただし、先ほどのご近所の方からのご心配には及ばず、孝雄は、私に対して面と向かって怒鳴り散らすことはなかった。いつも独り言か目を合わせないで叫ぶ。
一度、叫んでいる時、「なに?」と夫の顔をのぞき込んだら、「すみません」と一言。"弱い犬ほどよく吠える"って言うけれど……。ともあれ、ご近所にも恥ずかしいが、一番心配なのが娘たちへの精神的影響だ。
もう動こうと思えば動ける――私は二人の娘たちに、これからどうやって暮らしていくかを相談しながら、離婚の調停ひいては裁判も視野に入れたうえで、最後の資料集めを急ぐことにした。
七月二十四日(火)
この日はめずらしく、夫は帰った時は静かだったが、「風邪薬はないか?」と言ってきたので渡すと、その薬を思いっきり投げて捨てた。この薬ではなかったのかと思い、別の薬を探していると、カップ麵と箱のへこんだ風邪薬を持って「すみません」と。
そしてリビングを出ると、「いい気なもんや!」と言いながら、階段を昇っていった。
この夜、私はちょっと試してみようかと、寝室の隣の部屋にデジタルカメラを動画モードでセットしてみた。