第一章 ギャッパーたち
(二)天地紗津季
紗津季は、二十八歳という若さでいきなり、金融会社の社長業だけでなく、大病院の経営も行うようになる。病院の理事長は、月に一度の理事会にしか顔を出すことはない。
そこで、人事や経営の報告を受けるだけである。そこでの名前は、理事長の承継者であることを示すため、あえて父親の姓をそのまま使用して、権堂紗津季と名乗った。
看護師では、天地紗津季と本名で名乗っていたので「紗津季」は同じではあるが、理事長に対して名前で呼ぶ者などいない。つまりは、理事長は「権堂」だけしか認識されないので、「紗津季」の部分が同じとは気がつかない。
つまりは名前からは誰も同一人物とは考えもしない。理事長のときには、スーツにサングラスをして、髪もマダム風にしており、看護師の際は、通勤時は髪をおろしていたし、勤務時には一応髪をまとめていたもののマダム風とは形を変えて、ポニーテールのようにひっつめていたので、誰も同じ人物とは気がつかないのである。
看護師も社長も理事長もそれぞれが一生懸命なので、どれも自分でありながら、どれも自分ではない気がしていた。その中でもやはり一番自分に戻れる、自分に合っている、そして落ち着くのが看護師のときであり、それだからこそ、辞められないのであった。看護師のときに一番自分が自分であることを確認できていたのである。
それでも、紗津季は、看護師として病院に行くたびに、自分が理事長であることがばれるんじゃないかとひやひやしていた。特に、理事長のときに会って直接に顔を合わせている、病院長や事務長と会うときはできるだけ顔を合わせないように、少しうつむき加減になったりしていた。
もしばれたら、もう看護師としては勤務できなくなるのは明らかであった。理事長に看護師業務を命じることのできる者など、病院にはいないからである。あくまでも看護師としての業務にこだわる紗津季としては、絶対にばれてはならないのであった。
紗津季が看護師として働いているときに病院長と会うことは滅多になかった。たまに会ったとしても、全職員に対しての話のときであったり、回診のときに大勢の取り巻きを引き連れているときであったりするので、大勢の看護師の中に紛れている紗津季を認識することなどできるものではなかった。
ただ事務長はそういうわけにはいかない。事務長はしょっちゅう看護師の詰め所に顔を出してはいろいろ経理のことやら、患者さんからの苦情やらを看護師に注意したりしていたし、病院内を歩き回っていたので、廊下で一対一で出会うことも少なくなかったのである。
そんなとき、最初はすぐにお辞儀をして顔を合わせないようにしていたが、回数が増えてくるとそんなことができないことも生じてくる。