例えば相手に怒り、悲しんでいる間、私は楽しみ、喜びが湧いているかもしれない。私と同じ時間の使い方も無ければ感情の使い方も異なる。見方、感じ方、価値がそれぞれだということ。
試合でも、相手と対になる感情の中、「勝たせていただいた」と敬意を抱き、さらには「戦友を称える」のも、「私があなたより強いんだ」と優越に浸るのも、本人次第なのだ。
相手の心もわからなければ、未来もわからない。思い込みをせず感情に振り回されず未来への不安ばかり抱かず与えられた今に感謝し、今できる最善の行動をし、時間を流れていけば自ずと未来を変えられるだろう。
もし、その日の考え方がマイナスならどんどん堕ちていくのがわかる。というより、堕ちていくと想定した考え方だから自ら堕ちていき、悲観的になり、自責するばかりという負の連鎖。
重症の心がさらに傷だらけになり、どんどん自分でその傷口に塩を塗ってはいないだろうか。朝は必ず来る。
平等に明るい朝日が昇るから、時間を味方につけて、ひと休みしてから朝また考えてみると、前日よりもまだ冷静な考えができるのではないだろうか。目を閉じて寝るのも大事なこと。すぐにわかってもらおうと思わなくてもいい。
その日に解決できないこともたくさんあることを、退院を目標に長く抜け道のない毎日に、もがいていたあの頃の私にも伝えたい。まだまだ人生長いのだから、明日のために寝てほしいと過去の私に伝えたい。
一度のひと休みが、どれだけ不安を半減させるかは個々で異なるだろう。物事の解決は確かに早いほうが楽だろうし、安心もする。でも解決のしようがない、どれだけ考えても状況が変わることのない問題もある。
その日が最善のタイミングでないかもしれないと、見方を変えて最善のタイミングを見計らい、コンディションを整えてから歩めばいい。
その日にとっての優先順位があるのも必然だから、優先順位がもしもいきなり変わろうが、時のご縁。時のご縁なのだから何か意味があるのだから、その日と前日には出来事にも変化があるはず。何も変わらない日なんてない。
夫も私も子どもたちも変化している。日常の悔やみがあっても、その日その日の時のご縁。偶然でなく必然だと決めて、時を待つことも意味があるのだ。振り返れる過去があるから変えられる明日が来る。日が昇ることでまた思考も考察も変わるから。
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