夫がその子を引き取り、幼い頃からジュデイが双子のように育てたので、自分にとっても祖父母だと勘違いしたのだろう。それを誰も咎(とが)めず大らかに受け入れている様子に、さすがカナダ、懐が深いと感銘してしまった。そう、生まれた子供は皆の宝なのだ。

カナダでは日本の文化が盛んで、日本舞踊や華道・剣道・柔道などを習っている人が多かった。二世・三世になると、ほとんど日本語は話せないのだが、日本の文化には熱心に参加して腕前もたいしたものだった。

紗季たちはカナダのお父さんが所属していた「河畔会」という俳句の会にも参加して、六十代の二世の方々と一緒に勉強した。戦時下の抑留生活中でも、長い冬の間外に出られない時には集まって俳句会をしていたらしい。

この俳句会のメンバーは、ほとんどが漁師や庭師、その奥さんたちだった。ここの日系人たちは、日本の学校で学んだことがない人がほとんどだった。しかし俳句がとても上手で、またその表現がぴたりと俳句の心を表現していた。

一見学者タイプに見える漁師の酒井隼夫が河畔会の取りまとめ役で、いつも広幅用紙に全員の俳句を書き写して壁に広げて貼り、会を進行した。「お題」は順番で出すことになっていた。その日提出した俳句は翌週に発表された。濱手逸二は本業の漁師も立派にこなしながら、「黒兎」という号で日本へも俳句や短歌を投稿して本も出していた。

ひろ子に華道もあると誘われて、紗季は独身時代の続きを学ぶことができた。日本からの新しい移民の方が教えていた。また日本から講師も来訪し講習会も開かれ、ここでもらったお免状は英語で書かれていた。カナダのほうが日本にいる時よりも、日本的なことを学ぶ機会が多かった。

【前回の記事を読む】三十歳なのに十四歳の子供に間違われる!? はじめて知るカナダのTAX事情

【イチオシ連載】結婚してから35年、「愛」はなくとも「情」は生まれる

【注目記事】私だけが何も知らなかった…真実は辛すぎて部屋でひとり、声を殺して毎日泣いた