私自身の不安はまず彼が受傷した後の自分の変わり果てた姿に落胆しないかや、私ひとりで子育てできるのかや、毎日離れ離れの生活で子どもが不安にならないだろうかが先にあった。看護師を退かねば子育てと仕事を両立していけない不安もあった。

そんな折に労われているかもしれない言葉はとてもしんどかった。それでも何を言われようと気にしたくない言葉を言われようとも、悔しくても、かすかでもわずかでも今できることから始め、それに最善を尽くした。そうしたら振り回されず相手を見られた。周りには心配をかけたくないことも悩みだった。

子どもたちがお父さんのことで、塞ぎ込まないかも不安だった。けれど、子どもたちが毎日変わらず喧嘩をしたり、変わらずお父さんお父さんと話しかけている姿を見ながら毎日に追われるように育児をしていると自然と落ち込んでいる時間は与えられなかった。

さらに夫を見守りながら彼自身、あれはできないけどこれはできる、だから夫はできることが一つでも残っているんだと感じた。自然に毎日が心のリハビリにもなった。私も時間を有効に活用できない日もあれば充実して過ごせる日もある。毎年8月が訪れると思い出すかもしれないが、振り回されたわけではない。そんな人だっただけだ。

そして、ずっと家族みんなが共有する生きる絆かもしれない。そう感じたら責め合うこともなく、少しは優しくもなれるだろう。

理想を見すぎて小さな現実の光を見失うとギスギスするから小さな幸せを大きな喜びに、小さな支障も大きな踏み台にしていくほうが立ちはだかる壁も高くは見えないだろう。当たり前の生活から一変するとかすかな現実の光は見落としがちで、最低限どう喜びとして捉えるかがはじめの一歩となる。

それが、自分で気づくか、私のように周りを見渡してみて彼を受け入れている子どもたちに気づかされてなのかは人それぞれだ。不運に感じる現実もたくさん見ていくだろう。理不尽なことも、たくさんある。それも皆同じだ。

失って気づかされた毎日の大切さ。私も完璧に、立ち直ったわけではない。人に紛れて、もがきながらも、ずっとできる限り精神の、リハビリを繰り返している。

 

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