第一部
九
そうこうしている内に、純之助に結婚話が持ち上がったのだった。備前御野郡に住む光田槌ノ介長女の「春」である。
多分、知り合いの知り合いぐらいからの縁談話で、器量もよく、親が農家で農作業の経験もあることから話はとんとん拍子に進んだらしい。
しかし、純之助の方はすでに両親ともに他界しており、身内は義兄の度助だけである。そこで、本家の庄屋、藤左衛門が親代わりを務め、質素に祝言をあげたのである。
徒歩で行き来するしかなかった当時としては、春の実家は相当遠い。恐らく嫁いできた春は、腰を落ち着けてこの家の嫁になりきろうと思ったに違いなかった。
結婚後すぐに第一子誕生となった。男の子である。家族の少ない純之助は、少しでも早く家族を増やしたかったのだろうが、残念なことにこの児は一歳も待たず早世してしまった。
しかし、その後すぐに長女が誕生したのである。しかも、この娘は順調に育って成人し他家に嫁くまでになった。
そして、続いて生まれたのが、この家の跡継ぎとなる「佐四郎」である。
その後、純之助と春の間には男子二人と女子二人が誕生している。その内、男児と女児一人ずつ早世し、成人した男子は他家に婿養子となって出て、もう一人の女子「幸」も無事成年となり他家に嫁入りしている。
結局、春は計七人もの児を設けているが、これがこの当時の平均的な家族像と考えられる。
このように、次々と児をもうけた純之助は、働き盛りの年頃となり一家を支えるために懸命に働いたようである。ところが、この家にいるもう一人の同居人である義兄の度助の方は五十歳近くとなり、当時としてはかなりな高齢である。
元々俵を担ぐなど力仕事を任されていたので、高齢とともに、歳だからと体力的にもきつい仕事はお呼びがかからなく
なり、生活費もあまり稼げなくなった。
そんなある時、度助は久しぶりに阿賀崎に里帰りしたのである。当時、玉島に隣接する港であった阿賀崎は、北前船の寄港地として栄え、港に面して何軒もの廻船問屋が立ち並んでいた。
主に主要商品だった備中綿、それから北海道からニシン粕が送られてくるなどの取引が盛んに行われていた。
度助の実家もそういう交易業務を相当手広くやっていたらしく、少しでも多くの人手がほしいと、度助に帰ってくるよう強く催促したのである。
以前から、「俺は、純之助に児ができたら、この家を出ていく」と宣言していたので、この話は渡りに船である。度助は実家から帰ってくるなりその話を持ち出して別離を告げたのであった。
急な話に戸惑った純之助だが、長年、兄や親代わりのように手助けしてくれた義兄が去っていくのはこの上なく寂しい。
しかし、純之助が結婚して一本立ちができるようになったら、この家を出ていくという約束の手前、引き留めることもできなかった。
そして佐四郎が誕生したのを機に、度助は阿賀崎の実家に帰って行った。