はじめに
初めて私がクルマの免許を取ったのは昭和46年でした。その頃は今のように「高齢者の運転が危ない」などとニュースで言われることはありませんでした。
ところが今は、「高齢者の運転は危ない」「75歳を過ぎたら免許証を返納させろ」という話をよく耳にします。本当にそうでしょうか。昭和46年の頃にも当然高齢者はいたはずで、実際に私もこの目で見てきました。
また、その頃の高齢者はのんびりと運転をしていました。ところが今は違います。高齢者の運転を見ていると何かビクビクしているように見えます。この違いは何なのでしょうか。
46年の頃のクルマにはクラッチが付いていて、特に坂道発進などは非常に技術を要しました。ところが今のクルマは大半がオートマチックで、エンジンのスイッチを入れてアクセルを踏めば、誰でも簡単に発進できます。
その上自動車メーカーは、初速のスピードを競って「ゼロ一〇〇キロ」とか「ゼロヨン」などと銘うって、販売に血眼になっています。これでいいのでしょうか。
クルマというものは、誰でも安全に乗れるものでなくてはいけません。自動車メーカーはそのあたりの認識を間違っていると思います。
そしてその誤りが、高齢者がコンビニに突っこんでしまうとか、本人が少ししか踏んでいないと思ってもクルマの方は瞬時に前進、後進をしてしまうことの原因ではないかと思います。クルマは、速ければいいというものではないのです。
これは他の製品にも言えることです。たとえば、百円ライターの場合がそうです。以前は誰でも軽い力で火を付けることができましたが、あるとき、子供が車内でライターを使って遊んでいたら可燃物に火が付いてクルマが全焼、子供が死亡したという痛ましい事故が起きてしまいました。それ以来ライターは力を入れないと火が付かないという構造に変わりました。
また、カミソリもそうです。以前のカミソリは理髪店で使っているような、刀のように一直線のカミソリでした。ところが今のカミソリはT字形になっていて少し切れ味が落ちています。どんなに急いでヒゲをそっていても、前のように間違って切ってしまうということがありません。これも、製品の改良によって事故を未然に防いだ例です。
また、少し前のテレビ番組で、新潟県の洋食器メーカーが、「食事のときに使うナイフは切れすぎてはいけない」と言っていました。この放送を観て私は納得しました。ナイフだからといって、切れ味が良い製品=良い製品とはならないのです。
不便さの便利。このことが、クルマでも言えます。今のクルマは、アクセルを少しさわっただけで猛然と発進します。クルマも、新潟の洋食器メーカーに倣って、足に力を入れないとアクセルが作動しないように改良するべきだと思います。そうすることで、高齢者でも安全に運転することができます。
今のクルマのアクセルは、あまりにも軽すぎるのです。
本書は、2020年に講談社エディトリアルより出版した『運転歴32年 タクシードライバーの運転漢方薬』を一部加筆修正した作品です。
今回は、悲惨な自動車事故のニュースを目にするたびに感じていたこと、今のクルマに対する思いを、より強く筆に込めて原稿を書きました。
運転のプロとして、運転の知恵やテクニックを伝えると同時に、痛ましい事故が絶えない今の世の中に一筋の光を差すことができたら幸いです。