第2章 講演会で新構想を発表する
恩師の教えで経済構造の改革に目覚める
大学では、恩師・玉野井先生(お亡くなりになった)のゼミの1期生だった。私は全日制で入学したが、2年次に休学。3年次2回生、夜間学部転部3回生、4回生の時に玉野井ゼミで勉強した。
昼間は建築工として働き、現場のクーラー設備等の保温業主任であった。部活動は民族研究クラブ部長といそがしい毎日で、自分の年齢を忘れたこともある。約13年前には、自分の名前を忘れたこともある。
このことで、人々を思い愛することは自分を忘れることにつながることだと、後々気がついた(神様達は私のこの姿勢を高く評価してくれたのだろうか、約15年前に私の体に入ってきたのである)。
そのため私は、自分のことは後回しにして忘れ、人々のために尽くしたいと考えるようになった。
しかし自分の生活もあり、立場もあるので、限度を超えてまでやることはかえって悪影響につながることもあると悟った。何事も限度を超えるのは良くない。だから私は、ほどよく穏やかに生きることにしたのである。明るく逞しく。
統合失調症を発症。入退院を繰り返す
43年前の玉野井先生の教えは、開かれた地域主義経済構造についてだった。その教えは、現在の地産地消の草分け的なものである。
私は玉野井先生の教えを実践行動することが世の中を良くする近道だと考え、卒業直前から農業経営(花栽培)をスタートした。しかし突然、統合失調症を発症し、世界没落現象を体験することになったのである(この時のことは、私の著書『立ち直って』に詳しく書いている)。
以来、若い頃は入退院の繰り返しだった。薬を飲むとだるくなって仕事ができない。かといって飲まないと、再発して入院させられた。
4回目の入院時に保健婦さんと薬をきちんと飲むと約束し、飲み続けて寛解することができた。寛解というのは医学用語で、完治はしてないが良くなっている状態を言う。
服薬、仕事、勉強の日々を送る中で、2級建築士、1級建築施工管理技士、1級土木施工管理技士の国家試験も受かり、それらの資格を取得した。
服薬すると、副作用で体がだるい、のどが渇く、腹が減る、といった状態になるためとても辛かったが、体のだるさは体力をつけ、薬に勝つことで克服した。勉強は早寝早起きして、深夜から早朝、現場の事務所で頑張ったのである。
のどが渇くのは熱い飲み物が好きで、よく飲んでいたからだろう。熱い飲み物が好きになったのは、幼い頃、年配のおじいさん達から真夏でも熱い飲み物を飲むと体に良いと教えてもらったことがきっかけである。
仕事も頑張って、結婚もしたが、子宝に恵まれず離婚。子供が欲しくて再婚したものの恵まれず、またもや離婚した。