しかしこの噂が先に立ったまま、私が殺したと真実が知れ渡ってしまえば、先生と同じように、私を脅して、彼の父親を殺させたと考える人がいないわけでもない。つまりどう転んでも彼の立ち位置は悪いものへと変わってしまうのだ。
「あなたの味方だから。苦しいなら相談して」
先生に肩を掴まれて、いつの間にか目を閉じていた。瞼の裏に先ほどの光景がよみがえる。廊下を歩く私に嬉しそうに声をかけた彼の姿と、その周りにいた彼のクラスメイト達。放課後の沈み始めた太陽光で満ちたあの空間を私のせいで壊したくない。廊下に人の気配を感じた。
「先生、そのお話はまた後程」
私たちは教室を出た。そして先生は廊下を歩く彼の背中に呼び掛けた。彼はバツが悪そうに振り返った。
「はい、なんでしょう」
先生は身辺に気を付けるように注意を促した。一番の脅威は目の前にいる。皮肉でしかなかった。そこに部活に行く予定の同級生たちが通り掛った。彼らはどうやら彼の友人らしく、楽しそうに話しかけていく。
「ここで何してんだよ」
「樹じゃん」
「今度遊ばね?」
「もしかして、彼女」
私を指さしている奴がいたが、スルーされている。聞こえなかったんだろう。私も一斉に話しかけられていくつか聞き漏らした。先生も苦笑いで一人ずつ話すようにと笑った。
彼らはそのまま群れをなして通り抜けていった。嵐のようにパワフルだった。先生は二言三言彼に話をして去っていった。
「大丈夫だった?」
まさか先生と私のやり取りに気が付いているわけではない。
「ええ。平気」
私はその言葉を繰り返した。そうだ。平気だ。私は彼の顔を正面にとらえた。彼は少し戸惑ったように視線を揺らした。その間抜けた表情が微笑ましい。そして何度も惹かれてしまう。彼に縋ろうとしてしまう。
彼に執着するように伸びてしまう腕ならば、いっそ切り落としてしまいたい。許されたい。救われたい。けれど許されない。だから離れることしかできない。この二人を隔てる一歩分の距離でさえひどく遠く感じるというのに。
私の手は血で汚れてしまった。私の答えは決まっている。彼の平穏を壊すのは私と、先生だ。先生が黙ってさえいれば、彼の父親について知られることはない。つまり彼の平穏は保たれる。
私はまた彼との距離を取ればいい。私は彼のために人を殺す。もうすでに一人殺している。もう一人くらい殺したところで変わりはない。だから今度こそ彼のために人を殺す。