第一章

一年二組

先生に言われた通りに空き教室に入った。出入り口に近い椅子に腰かける。先生は後から入ってくると、戸をぴっちりと閉めた。私は椅子に座ったまま先生を睨むように見上げた。

先生は私の正面に椅子を引きずって腰かけた。席に着くや否や、まるで心配でもするように眉を寄せた。

「あなたは脅されているんじゃないの?」

「すみません、話が見えてこないのですが」

「彼のお父さんって、本当に事故だったのかな」

「は?」

自分の顔が条件反射で動いた気がした。先生はその様子に気が付いたようで私を安心させようと微笑みかけたのだ。

「いやね、彼のお父さんが階段から突き落とされているのを見たことがあるんだよ。ちょうど幼い君たちくらいの」

発された言葉は抑揚もなく、それでいて私を壊していくには十分な威力を持っていた。宥めるように私は腕を掴んでいた。急に何を言い出すのかと言えば、そんなこと。瞬間的にあの日のことを思い出す。

私が突き落とした男は階段の下、雨を受けて身じろぎさえしなかった。高架橋の周辺に人影はなかった。雨の日だったから、見通しも悪くて、あの事件は事故として処理された。それで終わったはずだった。彼が私の近くにいることだけが問題だと思っていたのに。

「彼のお父さんは高架橋から足を滑らせて亡くなった不慮の事故です」

「高架橋って知っているの?」

その手には乗らない。

「ええ、当時ニュースにもなっていましたから。それより先生。それを目撃したのなら、なぜ直接、警察に言わずに私に声をかけたんですか」

「警察には言ったけど相手にされなかったんだよね。見間違いじゃないのかって。それにあの周辺に防犯カメラがなかったみたいでさ、証拠がないってんで」

表情が抜け落ちそうになった。自分の平穏な生活は綱渡りの状態にあったのだと知る。

「それで、君が殺したと思っている。彼の指示で。それを今脅されているんじゃないの?違う?」

「何が目的ですか」

思わず舌打ちをしそうになった。それに気が付いたのか先生は口角を上げた。

「真実を明らかにしないと苦しいでしょ」

そんなことはない。話さないで保てる平静だってある。そもそも彼は私の罪を知らない。

「違います」

「そう、じゃあ彼にも聞いてみるしかないか。もちろん脅してるかなんて正面切って聞くわけにはいかないけど」

「何でそうなるんですか」

「いやね、いつまでも、本心を隠して生きているよりは、話したほうがいいんじゃないかなと思って。自分の痛みに気が付かないこともあるからね」

先生は笑っている。これは紛れもない脅迫だ。彼の今の生活を脅かすため。もしこの学校で彼の殺人の噂が立ってしまえば彼は後ろ指をさされ、疎外されてしまうだろう。事実、彼は殺人を犯していない。