じゃが、我輩のためにお腹を痛めて産んで、育ててくれたことを非常に感謝しとる。それだけでなく、母ちゃんを恨んだことなど一度もない。愛情たっぷり、笑顔花咲く、青空のごとく晴れ渡り、心が澄み切った、聡明な女性じゃった。母ちゃんと呼べば、な~に輝男と返して可愛がってくれた。それだけでなく、我輩の内面に寄り添ってくれた唯一の、母性愛の長ける、ハリウッド映画のヒロインのようなお方でもあったのじゃ。
我輩はの、そんなヒロインだった母ちゃんへの、生前での恩返しが、満足するほどできなかったのじゃ。思い起こせば、確かに、労働してみたものの、根気が続かなかったことから、短期間で離職してしまったのじゃ。それだけでなくてな、望む職業ではなかったことから、心から手の届く範疇で自ら選択し、選び抜いた結論で得た初任給で、母ちゃんへのプレゼントを買ってあげるとかの経験が、皆無じゃった。じゃから、上から見ていてほしい願望があるのじゃ。
母ちゃんが死んでしまい、それまでは、我輩が短期間に労働した額から生活費を工面しながら母ちゃんの年金を切り崩しておったが、死亡したことから、年金を受給する権利を失効してしまったのじゃ。なので、我輩としては、呆気に取られ、ついに独力で働かねば、生活していかれんのじゃ。
ん? 何々? プライドが高い?
ようわかるのうお主。基本的に、何の脈略もなく、他人様から養ってもらうなど、我輩の辞書には載っておらんのじゃ。他人様から恵んでもらって、世話を焼かしてしまって、義理や犠牲が生じるなど、あってはならんのじゃ。母ちゃんの年金でさえ、可能な範囲を超えることなどなく、以前、稼いだ微々たる金銭で賄ってきたのじゃ。誰にも文句は言わせんつもりじゃ。
それと、母ちゃんへの恩返しのためもあるのじゃ。生活費を賄う目的はもちろんじゃがの、人間としての成長もしたいがためもあって、過酷な労働でも受け入れて、可能な範囲を考慮していただいたうえで、働かせてもらいたいのう。労働は人を育てるバリエーションになりうるっちゅうのは、我輩の持論じゃからの。
それとの、しかと聞け。母ちゃんが亡くなってしまったショックは、当然のごとくあった。そこでじゃが、我輩のような障がいを背負った者でも、もう一度、最後のチャンスとして、やる気がみなぎってきたのじゃ。
母ちゃん。見とれ~~。