「肝臓の数値がとんでもなく悪く、突発性細菌性腹膜炎―今週が山です。長くても2週間―」
思いもよらない余命宣告。
今週って、今日が金曜日だから―日曜日ってこと? へっあと3日!ってこと―? いまいち理解できない私の背中を看護師長が無言でさすってくれていた。
マジか―泣ける―。どこか現実とは思えない私がいた。と同時に、みんなに知らせなきゃと冷静な自分もいた。
こんな事になるとは思わず、義姉や自分の親にもへたに心配させたくないと話をしていなかったのだ。入院して安心しているダンナに悟られるわけにはいかない。
ダンナには
「姉からたまたまこっちに来る用があると連絡があり、入院を伝えたらお見舞に来るってよ」
と話すと、姉2人の末っ子ダンナは一言「おこられる」とびびっていた。
いつもの鬼嫁らしく
「自分のせいやろー知らんし!」
と笑顔すら見せながら退室。自分でも女優か?と思う程完璧な演技に看護師長から誉められた。
その後、あちこちへ連絡。弟からは
「なんやそれ! 余命ってこと?」
と驚かれる。
「そう余命……」
と力なく答えるしかなかった。娘と息子にも話をする。うちの家族はダンナも含め、みな介護と医療系の仕事をしており、取り乱しながらも、どこか冷静に受け止めていた。
それでもコロナ禍、この状況でも1日1回30分の面会しか許されなかった。日曜日、姉たち3人がPCR陰性の証明を持ってお見舞に来てくれた。ダンナは心配させたくなかったのかベッドに座り話をし、別れぎわにはバイバイと手を振り見送ったとのことだった。
姉たちに心配させたくないというダンナの優しさだったのだろうが、私たち家族が面会に行った時は、ずっと目を閉じ、眠っているのか痛みに耐えていたのか、一言も発せず。ただその姿を見守りながらも、職業柄、尿量や浮腫などバイタルチェックをする冷静さも持ち合わせていた。
どうにか最初の山の3日間を越えることができていた。病院からの連絡もなく、娘は翌日にひかえた孫の入園のため、他市へ帰っていった。息子らは仕事。たった1人静まりかえった部屋で、その時がいつなのかわからないまま、ダンナの頑張りを祈っていた。