『帰れ。ここはまだお前の来る所ではない。』

わたくしは声にひるんで歩みを止めた。遠くわたくしを呼ぶ声がする。

『ゴータマ……ゴータマ』

今度は男の声だ。ぴたぴたぴたぴた、わたくしは頰を叩かれていることに気が付いた。

『おお、気が付いた。』

コンダンニャであった。わたくしはピッパラ樹の下に寝かされていた。人事不省に陥ってコンダンニャに助けられたのはこれが初めてではなかった。わたくしの苦行はコンダンニャたち5人のうちの一人によって父に報告されていた。ゴータマは命を落としたと誤って伝えられたこともあったらしい。

最近の父の伝言は

『死んではならぬ、生きて闘え』

というものであった。わたくしはどうしても食欲を無くすことは出来ない。それはわたくしが生きたいと望んでいることにほかならない。わたくしは、だから、食欲を抑えることは、苦行の中でも最も厳しい苦行であると考えた。

このことはコンダンニャも理解していた。食を抑えて、ある時期になると、わたくしは決まって意識を失った。コンダンニャたちがいなかったら、そのまま目を覚まさなかったかもしれない。コンダンニャはわたくしの上半身を起こし、ピッパラ樹に寄り掛らせた。

コンダンニャは鉢の中の粥をわたくしに勧めた。遠く四足獣の咆哮のようなものが聞こえ夜が支配する時刻となった。あたりはいつも何かざわざわと聞こえ静寂はなかった。食し終わり、いつかわたくしは眠っていた。

気が付くと、朝の光がわたくしにも差し始めていた。わたくしの体は苦行と絶食で、骨があるためにこれ以上瘦せられないという有様であった。食べなければわたくしの体は持たない。と、わたくしに降り懸かる光が遮られた。

目の前に娘の素足があった。このところ毎朝のようにわたくしに乳粥を持ってやってくる娘であった。わたくしはこの時も乳粥を受けなかった。いつもは諦めて帰っていく娘が今朝はわたくしから去らなかった。娘はわたくしの横に跪ずくと、わたくしの背に腕を回し、乳粥をわたくしの口に近付けた。娘の匂いがわたくしにかかる程であった。

ふと、わたくしは背後に人の気配を感じた。振り向くと、呆然としたような表情でコンダンニャが立っていた。コンダンニャはわたくしが声をかける暇もなく、踵を返すと足速に去っていった。わたくしは立ち上がって追おうとしたが、娘の手がわたくしの膝を押さえた。わたくしには娘の手を撥ね除ける体力がなかった。

『道の人よ』

娘がわたくしに声をかけたのは初めてであった。娘はわたくしの目を見て話し始めた。瞳の涼しい、利発そうな娘だ。

【前回の記事を読む】「無の境地を目指す」「自分に集中する」ブッダが二人の仙人の元を去った理由は?