戸塚に着くと私は電車を降り、向かいのホームの横須賀線に乗り換えた。三駅で鎌倉だ。今日の目的は、海だ。特に意味もないが、ドラマのように行き詰ったら海に行く、というありきたりの発想で思いついた冬の海だ。一人物思いにふけるための。そう思っていたのだが、江ノ電に乗り、また何か違和感を覚える。
冬とはいえ観光地の鎌倉。私の想像より、ずっと観光客が多く、ずっと明るい雰囲気なのだ。日常の重さから逃げ出して一人物思いにふける。そんなことを期待していたのだが、外国人観光客、中高年の女性のグループ、若いカップル、楽しそうな人たちで満載だ。まあいいや、と思って二駅目の由比ヶ浜で降りる。
さすがにそこで降りる人は多くなかった。静かな道のりをしばらく歩くと、突如、海が開けた。まぶしいほどの太陽、きらきらと輝く海。私の中の冬の海という想像とは違ったが、私は確かに海に来た。浜辺に行き、腰かけられる石段を見つけるとそこにかけて景色を眺めた。はじめてだったと思う。ママちゃんの介護をはじめて一人でここまで遠出したのは。
十二月なのに暑いくらいに太陽が照り付け、波は陽の光を反射して輝いている。遠くにサーフィンを楽しむ人たちが大勢おり、家族連れで遊んでいる人もいる。想像を超えた明るくキラキラした海がそこにあった。コートが暑い。私はとりあえず携帯灰皿を出して一服しながら海を眺める。
海は、海だ。晴れて穏やかな冬の海だ。波の音がする。生温かな風が時折吹くが潮の香りはあまりしない。ゆっくりとタバコを吸う。海をしばらく眺める。そしてふいに思った。私は海が見たかったというより、海に一人で来るという行為がしたかったのだと。埼玉生まれ埼玉育ちの私にとって、海に特別な思い入れはない。若いころ何度か遊びに来たくらいだ。
海を見ると落ち着く、とか、懐かしいとかではなく、日常と違う場所に行くことで自分の気持ちを開放したかったのだ。ママちゃんの重さから逃げ出したかったのだ。そしてそれができることを実証したかった。
それだけなのだと思う。海を見たからすべてが忘れられるというわけではない。逆に海を眺めながら、陽に照らされながら、これまでのことを考える。そもそもの私の介護はママちゃんが倒れる前の出来事からはじまっていたことを思い出した。