はっきりいってノドから手が出るくらいに、ぼくはそれを求めている。こんなろくでもない人生を送っているぼくであるが、自分だけのオリジナルナな思想、自分にしかできない仕事、そういうものに対するアコガレは半端ない。のび太以下のぼくのくせに。けれど、サカのような生活をすればそんなすごいものを手に入れられるとしても、やっぱりぼくは拒否する。腐った食事には耐えられない…… 』

あれから二十二年だ。

私のさまよいの生活は数年で終わったけれど、あの男はさまよいをやめなかった(やめられなかっただけなのだろうが)。もしも思索者としてさまよい続けていたとしたら、いったいどれほど途方もない思想が蓄えられていたことか。

これも以前父から聞いて知ったことだが、学生の頃のサカは学力優秀だったという。

「まあ家があれだかんなあ」

と複雑な家庭事情による転落人生を父は匂わせていたけれど、むしろ何者にも邪魔されることなく思索者として生きんがためにあえて放浪の道を選んだとするなら、それこそ混沌こんとん とした世界を変え、救済するような知恵の宝庫があのぼさぼさ頭の中に隠れているのかもしれない。

隠れた賢人がこんな田舎町にいることを世界が知らないということは、実に損失である! なんて、実際はとりとめもない濁った頭脳を持っているだけだろうけど。

もし今の私にわずかにでもサカに対するリスペクトがあるとするなら、何十年も前に、食うために生きることを放擲ほうてきした生き様に対するそれである。私が二十年近く社会で揉まれた挙句にたどり着いた疑問、食うため、食わせるためだけにある仕事、人生はちょっとむなしくないか? 

そのことをさっさと見切っていたサカは、ある意味私の先達者であったような。むろんそんな意識があっての放浪生活ではなく、ただの怠惰からくる転落人生であったろうし、そんな意識があったとしても、その結果が生ゴミあさりでは憧れようもないのだけれど。

【前回の記事を読む】家が焼け落ちた男。彼は「落とし物」と言って主人公が捨てたはずの日記を渡した…。