その金髪の女の子はわりと正確に毎日三時半頃にこの道を通ることがわかった。ここを通るときはかなりのスピードで自転車を走らせていた。女の子はやはりぼくよりも二つか三つ年上らしかった。

らしかったというのは外国人なのではっきりとは見当がつかないのだ。でも日本でいえば中学生くらいなのだろう。しかし、ぐずぐずしている間に春休みが来た。女の子の自転車は通らなくなった。ぼくは新しい学期が始まるのを待った。

ハイツの学校が日本の学校と同じ学期で授業をしていて、同じ時期に春休みが終わるのかどうかぼくは知らなかった。だから、ただ見張るしかなかった。四月になりぼくは五年生になった。やはりハイツの学校も同様に始まっていたのだ。ぼくの期待通り、自転車は道の上に現れた。

桜が咲いた。戦後初めての春だった。ぼくは遂に決行の日を決めた。あと、どうなるだろうかとぼくは思った。日本はアメリカに占領されているのだ。占領されている国の人間が占領している国の人間に害を加えれば、たとえ子供といえども許されることはないに違いない。

どこかの島の収容所に送られて一生閉じ込められるのだろうか。それともC級戦犯達が死刑にされるときに一緒にまとめて処分されるのかもしれない。そうなったら両親はどんなに悲しむだろうか、という思いが少しぼくをためらわせた。

今ならまだ思いとどまることができる。

でも、やはりどうしてもこれはしなければならないのだ。妹が死にぼくが生きているという矛盾をそのままのんびりと受け入れて生きていくくらいなら遠くの島に送られることなんかなんでもなかった。

麦はもう五十センチくらいに伸びていた。この道を挟んで一方が麦畑、もう一方は杉林だった。

ぼくは道路から五メートルくらいのところにある杉にロープをしっかりと結び付けた。上下に外れないかと手で動かしてみると、ロープは下にずり落ちたので、一度ほどき、杉の幹をナイフで削って傷をつけ、その上にしっかりと結びなおした。今度はびくともずれない。それからロープを道の上に這わせて反対側を麦畑の中に投げ込んだ。

砂と砂利を道の上のロープにかぶせると、ぼくは麦畑の中に寝転んで、工作のときに作った潜望鏡を麦の穂の上に立てた。千里眼と名前を変えられていたが、それはまさに潜望鏡だった。風に揺れる麦の穂の海みたいな広がりの向こうに道路が見渡せた。

 

土と麦の匂いがぼくを包んだ。雲雀の声が絶え間なく落ちてきていた。一羽の声がしだいに下がってくると、別の一羽が上がっていくのがわかった。風がときどき渡った。そのたびに麦畑はサヤサヤと音を立てた。

 

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