【前回の記事を読む】キュウリをおすそ分けしようとしただけなのに…ヘルパーさんが怪訝な顔をしたワケ
筋萎縮性側索硬化症患者の介護記録――踏み切った在宅介護
備後弁珍問答
みなさんは『方言』についてどのようにお考えですか。私は方言は日本全国の通行手形として、味のある言葉だと思っております。
日本各地に出かけた時、その土地その土地によって話される言葉、方言の数々、またそれぞれに違うイントネーションなどなど、とても温かく、優しく感じられます。
ですから各地に出かけた折には『その土地の言葉』の情報がとても楽しみです。
しかし近ごろはテレビの影響からかおしなべて日本全国標準語化してしまい、私の方言の楽しみも少しく減ってきてしまいました。
ただ行きずりの旅行者には標準語と化してしまったものも、その地にしばらく根を下ろして生活をしてみますと、まだまだ身近な日常生活の中では、しっかりとこの方言が生きているのがよくわかります。
私は、生まれは神奈川県の横須賀市、生活本拠地は静岡.清水。仕事の本拠地は東京を中心とした関東圏で、六十年余仕事をして参りました。
そしてこの広島県福山市の住人となってから十五年余、かなりこちらの方言には慣れたと思ってはいたのですが、まだまだ言葉にまつわる珍談、奇談には事欠きません。
いつも来てくださるヘルパーさんの口からポロリと出る備後弁に、初めはずいぶんと戸惑いました。
夫もベッドの主であり、外に出られないので、外で仕事をする機会の多い私たちに通訳のSOSを目で求めることがしばしばありました。
でもそれが何となく判ってくると、その備後弁の出るのを密かに心待ちにしている自分がいることに気が付きました。
「堀内さん、はい立テリます」
と夫の両脇を抱えてトイレ移乗をしてくださるヘルパーさん。
はじめは??と思いましたが、動作から何となくその意味がわかるような気がします。とても優しい語感を醸しているのです。
これは「ハイ、立ちましょう」という意味なのです。
またある日、リハビリの先生の治療の場にお邪魔虫の私が同席していた時のことです。
先生は、
「いいですか堀内さん。僕にヨカッテください」
と言われるのです。ベッド上の夫の顔がさっと私の方を向きます。私にヨカッテの通訳を求めているのはよく判ります。でも、でも、でも・・・。私も全然判りません。
しかし先生は、私と夫のこの微妙な表情で、私たち『異邦人』の空気を感じ取られたご様子です。
「ああ、ごめんなさい。僕の方に寄りかかって・・・」
とご自身で通訳してくださったのです。は(なるほど。そういう意味なのね)と納得して頭の中の「備後弁」の引出しに《よかる=寄りかかる》と訳して、しまいこむのでした。
こういうわけで病室では夫と私のほかに娘が加わって異邦人による珍問答がよく起こります。
ある日、看護師さんが、
「これ読んだらその辺にハセテおいてください」
と言われ、三通の書類を出されたのです。
これを聞いて、夫と娘と私の顔がそれぞれ見つめあいました。
『ハセテオク』っていったいどういう意味なのかしら。何回も何回もお念仏を唱えるようにして声に出してみましたが判りません。
娘がその時「その辺に・・・と言われたので、その辺においておけばいいんじゃないの」
と言うのですが、なんだか放り出しておくようで少し気になるので、思い切って勇気を出してお尋ねしてみました。それでその言葉が『挟む』という意味だとわかったのです。
またある時ヘルパーさんが私に、
「お母さん、今エアコンを入れましたのでその窓ツメテください」
と言われたのです。(ええっ、何を詰め込んだらいいの。わが家の窓は二重ではないので詰めるスペースはないのに)と困ってしまいました。
周りを見廻しても適切な詰めものは見つかりません。どうしようと思っていると、そのヘルパーさんは、エアコンを入れ終えて私の窓際にきて、窓をぴしゃりと閉めたのです。