その頃、一緒に住んでいた10歳上の典子姉ちゃんは、高校卒業と同時に公務員になり、そして働きながら夜間の定時制大学に通い、いつも夜遅くに帰宅してごはんを食べ、また翌朝仕事に行く、というハードな生活を送っていた。
数年して大学も無事卒業し、完全に立派な社会人になっていた。
典子姉ちゃんと私は同じ部屋を使っていて、その部屋に机がふたつあった。
夜は典子姉ちゃんがその部屋でひとりで寝て、私はお父さん、お母さんと同じ部屋で寝ていた。
そして中学生に上がった頃、おばあちゃんが病気になり、入院した。
お見舞いに行ったりしていたが、おばあちゃんの病状はだんだん悪くなっていっている様子だった。
そして中学1年生の時、そのままおばあちゃんは亡くなった。
危篤になった時、親戚みんなが病室に集まって、おばあちゃんの手足をさすったり声をかけたりしていたが、そのまま息を引き取った。
後から「意識が朦朧としながら、最後までかおるの名前だけを呼んでいたよ」と聞いて、胸がキュウっとなってとても悲しかった。
おばあちゃんは精霊流しを見るのが大好きだった。
精霊流しは、長崎の8月15日にあるお祭りだ。
初盆を迎える故人が天国から降りてくるから、賑やかに盛大に迎えよう、というお祭り。
伝統的な精霊船、個性的な精霊船、色々な船があって、親戚一同の男衆がはっぴと地下足袋で「ドーイドイ」と鐘を鳴らしながら道路を引いてゆく。
船にはお供え物とものすごく大量の爆竹、花火が積んである。
その爆竹を鳴らしながら引いてゆくのだ。
賑やかだが、ちょっと切ないお祭りでもある。
おばあちゃんは毎年お盆にはニコニコしながら家の前を通っていく精霊船を眺めていた。
そんなおばあちゃんの初盆には、それはそれは立派な精霊船を作った。
おそらくおじいちゃんやお父さんの計らいでそんな立派な船を作ったのだろう。
天国のおばあちゃんがこの船を見てどれだけ喜んでいるかな、と私は嬉しかった。
だが、後に亡くなったおじいちゃんの時はお母さんの独断で精霊船は出さなかった。
新田石材を起業した、元社長なのに。
きっと精霊流しにお金を使いたくなかったに違いない。
なんて理由だ、信じられない。
建前は「親戚の男衆がいない」と言っていたが、そんなのどうにでもなるはずだ。
そしておじいちゃんの遺産は、なんだかんだと理由をつけて、お母さんは誰にも渡さずひとり占めした。
どれだけ強欲張りなのか、呆れる。
お母さんが強引すぎるので、お父さんの妹ふたりも遺産からは手を引いたようだった。