「全然変わってないな。ダンディな雰囲気」
「そうでもないよ」
光司はフェルトハットを取ると、後ろから前へ髪を指ですいて頭頂部を見せた。
「ここ」
ハゲていた。五百円硬貨よりもやや大きいか。俺は薄毛で悩んでいないので同情した。
「カッコつけているだけさ」
光司が再び帽子をかぶる。
「ところで、こんなところで何してんだ?」
俺は言葉に詰まった。
「当ててやろうか。リストラされて故郷に戻ってきた」
「なんでわかった?」
「悲愴感が漂っていた」
「そういうお前こそ」
ムキになって言うと、光司は鞄から素早くメモとペンを取り出し
「私の場合は悲愴感ではなく、悲壮感」
と、その違いを漢字で説明した。
「ものの本によるとだな。悲愴感は単純に悲しくて痛ましい。悲壮感は悲しい中にも雄々しく立派なところがある」
久しぶりに聞いた口癖「ものの本によると」。昔から読書家の光司は、うんちくを言いたがるところがある。そのくせ情報の出所を知られるのを嫌がり、書物のタイトルを決して明かさない。ここでいう「ものの本」とは、国語辞典だと容易に推測された。ネット社会の現代、その程度の情報は調べればすぐにわかるのに、別に隠さなくてもいいと思うのだが。俺は笑いが止まらなかった。
「やっぱり変わってないな。マダムキラーらしいや」
「フン。この年になってマダムキラーと呼ばれたってちっとも嬉しくない。私はやっぱり若い女の子がいい」
そう言っておきながら、光司は最近のアイドルについて不満を口にした。人数が多すぎる。名前が覚えられない。顔がみな同じに見える。ピュアじゃない。金がかかりすぎる……などなど。つまるところ昔のアイドルのほうがわかりやすく、かつ感情移入がしやすいので応援しがいがある、ということだった。その気持ち、俺はわからないでもなかった。お互いにおっさんになったのだから、仕方ないと思う。
「で、マダムキラーもなんでここに?」
「……リストラさ。今流行りの雇い止めって奴」
名古屋の大学で図書室の長期非常勤職員だった光司は、契約更新の際に「定年まで働けるよ」と言われ、それを信じて働いてきたものの、その言葉はあっさりと裏切られたという。
「なるようになるさ。私は悲壮感だからな。田舎に帰って心機一転、落ち込んでいない」
なんともポジティブシンキング。それに比べて……俺は神頼みにすがる自分を恥じた。
「アサリ、食べにいくか」
光司が誘ってきた。
「ここの海を見ていたら頭の中がアサリだらけになってしまう」
「ははは。たしかに」