理性派白楽天

中国唐代の三大詩人が残した「酒」にまつわる詩から、三人の飲みっぷりを探ることができるなんて、なんとも興味深いことではありませんか。

最初に、これはあくまで私流の解釈による分類であるということをお断りしておかなければなりません。白楽天は理性派、杜甫は苦悩派。李白にいたっては超越派であるというのが、私が下した三人の酒の飲み方。これからそれを探っていきましょう。

まず白楽天から。理性派・白楽天はどのような詩を残しているのだろうか?『漢詩酔談』(串田久治、諸田龍美著

大修館書店)に「(ぼう)()の酒」と題する五言三十四節からなる長歌が紹介されておりました。

題名になっている「(ぼう)()」とは()の刻のこと。今の時刻でいえば午前六時ということになりますから、「(ぼう)()の酒」とは朝酒を指すことは、すでに「卯飲」の章で紹介しましたね。

冒頭を読んでみると、

佛法贊醍醐 佛法は醍醐を()

仙方誇沆瀣 仙方は沆瀣(こうがい)を誇る

未如卯時酒 未だ如かず(ぼう)()の酒

神速功力倍 神速にして功力(ばい)するに

一杯置掌上 一杯掌上に置き

三嚥入腹內 三嚥(さんえん)にして腹內に入る

煦若春貫腸 (あたた)かなること春の腸を貫くが(ごと)

暄如日炙背 (あたた)かなること日の背を炙るが(ごと)

とあります。

仏法ではヨーグルト(乳製品)の効用を讃え、仙人は沆瀣(夜露のこと)を飲むことを奨めるが、たちまちのうちに効いてくる朝酒の方がずっといいとは、理性派を疑いたくなりますな。

ぐ、ぐ、ぐぅ~っと三口で杯を空けて、「かぁ~、五臓六腑にしみわたるようだ」と言っている白楽天の姿が目に浮かぶようです。

この詩は、白楽天晩年の隠遁時代に詠んだものといわれていますね。

大唐帝国の官吏として出世を望み、夢かなわず左遷の憂き目に打ちひしがれた若き日のことを顧み、思えばあのころは心安らぐときはなかった。しかし今は、この杯中の好物がいつも傍らにあるのだから幸せだと詠った白楽天は、やはり理性派といえましょう。

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