あの日もこんな空だった。明るいのどかな青い空だった。あの日からもう十カ月になる。あれは二月だった。二月とは信じられない暖かい日だった。ぼく達はちょうど教室で昼の弁当を食べているときだった。チャイムが鳴って、校内放送のスピーカーからラジオのアナウンサーの声が流れてきた。

「関東地区、警戒警報発令。敵小型機約四十、鹿島灘の東方海上約二百五十キロを接近中」

ぼくらは天気予報でも聞くように聞いていた。警戒警報など日常のことだった。続いて放送は教員室からのアナウンスに変わった。

「警戒警報が出ている。敵機はまだ洋上二百五十キロで、空襲までにはまだ時間があると思うので授業はこれで終わりとし全員下校せよ」

すでに空襲状態になっていれば生徒だけ帰すことはしなかったはずだが、結果的には教員室の判断は誤算になった。ぼくは二年生の教室に行き妹を連れて校門を出た。出る前にぼくは妹の頭に防空頭巾をかぶせてやり、顎の下できっちりと紐を縛った。それから自分もすっぽりと防空頭巾をかぶった。そうするとあたりの音は急に遠ざかった。

妹が全速力で駆けて、ぼくは妹に合わせて走った。道は麦畑の中を通っていた。林のそばを過ぎたところで妹の息が急に荒くなった。空襲警報を知らせるサイレンはまだ鳴っていなかった。ぼくは頭の中で計算していた。鹿島灘方面から来るのだから航空母艦からの艦載機だ。巡航速度で飛んでいればまだここまで来ないはずだ。少し妹を歩かせよう。

画像を拡大

歩調を落として歩き始めると青い空が目に沁みるように入ってきた。太陽は真上だった。静かだった。聞こえるのは小鳥の声だけだった。

その時だった。麦畑の端の林の上すれすれに小型機が三機、一本棒につながって来るのが見えた。ずんぐりした格好から日本機でないことはすぐにわかった。グラマンだとぼくは思った。それは三十度くらいの角度で斜めに通り過ぎる進路だった。ぼくは幾分ほっとした。

戦闘機の機関銃は前方に向いた固定式だから真っ直ぐに突っ込んでこない限り撃たれる心配はないのだ。翼の前の縁だけが一直線に見えたら撃たれると思え。胴体のマークが見えたらもう大丈夫だ。先生はいつもそう言っていた。

それにしてもすごい低空だった。百五十メートルくらいかなとぼくは目測した。機体のジュラルミンを留めているリベットが見えそうな距離だ。

不意に、ぼくは小さな鳥の羽のような物が首筋から背中を通ってスーッと落ちるような幽かな違和感を覚えた。それは本能的な危険信号だった。尾輪が見えるのだ。これはどういうことなのだ。引き込み式のグラマンの尾輪が見えるわけがない。

 

【前回の記事を読む】え、立ち退き!? 「焼けたと思えばいいんじゃないですか」焼け残ったこの家を米兵が目につけて