わずかな期間に二人の命の誕生に大地震も重なり、いずれにしても歴史的な体験となってしまった。

二人の誕生日は月違いの27日の同日で、しかも日曜日であり、私の還暦を迎えた一月のその後に、ポンポンと産まれてきた。冒頭で述べたように、未熟児スタイルの頼りない二人だったが、自分の子供たちにも感じなかった生命力の強さだけは、二人を抱いた時に確信した。

そして、会うたびに自分の心臓の鼓動が、孫たちにシンクロ? するかのような不思議な脈絡を感じだしていた。

この高鳴りは何なのか、初孫のために感じるものなのか、考えても分からないかもしれないが、一つは千年に一度といわれるほどの未曽有の歴史的大地震も起因しているのではないのか。

初孫の二人が生まれた年は、前述したように私が還暦を迎えた年でもあり、干支までが一緒となる。どのような巡り合わせなのか、双子のようにまさに手を取り合って生を受けたとしかいいようのない孫たちである。

この地震と自分の還暦に合わせたかのように生まれてきたことなどを考え合わせると、孫たちの誕生は単なる偶然ではなく、自分に対する運命そのもの。

その結果、不思議な力が自分に与えられたような感情に支配され、喜びだけではなく、捉えようもない不安感までもが気持ちの中に芽生えてきた。

これから先どのような人生を孫たちと歩いていけるのか楽しみもあるが、果たしてどの程度の時間を今後に与えてあげられるのかも分からない。この孫たちの誕生をきっかけとして、子供や孫たちに、何か残せるものがないかと、そのドキドキ感からか、頭に浮かびだし、何か何かと探す日々になってしまった。

そして、この時にふと浮かんできたことは、常々書き溜めていた(うわ)(ごと)のような感じでパソコンに打ち込んできたツラツラ綴りであった。これに書き足すことで冊子に残せれば自分としても、その薄い影のような足跡を見てもらえるのかなと思い立った。