迷いながら揺れ動く女のこころ
花帆が遠慮がちに美代子の顔を見て
「美代子の結婚の決め手は何だったの? 私も結衣も本当のことが知りたかったの」
「マザコン事件は知っているよね。その後男性不信に陥っていたの。そして結婚なんかしなくてもこのままキャリアウーマンとして、外資系の会社に継続勤務も悪くない選択と思ったの。たまたま母の得意先の奥様の紹介で今の主人の釣書と母から聞いた主人の障害のことを聞いた時、最初はすぐに断ろうと思ったの。すぐに返事をしないまま数日間ほっておいたの。
ある日、自分の部屋で妄想にふけっている時、高校の時のシスター山根のことが浮かんできて、キリストの教えの“隣人愛”という言葉が降って湧いてきたの。一度会ってからでも断ることが出来るから、会ってみようと思ったの。初めから身体障害者であることは分かっているから、今の主人、山形からどんな生活を望んでいるか直接聞いてみたかった。
彼は私に対して『自由に生きてください。趣味に生きてください。自分はこんな体だから子供は作れないことは承知、身の周りは家政婦さんがする』と説明されたので『自由に趣味に生きる』という言葉に惹かれた。その時は結婚とはどういうことか深く考えなかったと言える。今になって思うと家族とは夫婦愛とはどんなことかもっと思慮深く考えるべきだったの。
彼からは一つだけ『山形家を守ってくれればいい』と言われた」
花帆と結衣は経緯を聞いていて、家という空間に何か足りないものがあると感じていた。
「美代子、『愛』が足りないんだよ。自由と趣味は好きなように扱えるけど、ご主人との間に隙間があるよね。それが埋めきれていないんだよ。隙間の一部は家政婦さんの美月さんが埋めているということよ。一方で美月さんは入浴介助や台所仕事を美代子に奪われることに拒否反応を示し、嫉妬という形で美月さんに恋心が目覚めたと思うよ」
と花帆は推測して
「当たっている?」
と聞いた。美代子は「私もそう思う」と応じた。
「家族って大事だよね。子供がいて夫婦・子供の間に愛情があってこそ家族と呼べるのよね」
結衣は自分で納得したように一つの定義を語って一人合点していた。花帆が
「結衣の家庭は上手くいってるの? 確かご主人が食品卸関係の会社だったわね。年齢からして会社の中堅でしょう。会社での悩み事なんかを家に持ち込まない?」
「たまにお酒を飲んだ時なんか愚痴をこぼしているわね。でも、私は会社の職場のことは何も知らないから、いつも大変ね、で終わり」
「結衣ちゃん、冷たいわね」
「どうして、花帆は話をちゃんと聞いてやるの?」
「主人は保険会社の営業でしょう。特に法人相手だから夜のお付き合いがあるのよ。時々同僚を連れて武蔵小杉まで帰ってくることがある。そんな時は私も一杯だけお付き合いでテーブルをご一緒して話を聞くことはあるよ」
「花帆、偉いね。私なんかお酒の席はごめんだわ」
と美代子が言うと、結衣が
「うちは会社の同僚を家に連れてくることはないけど、主人の評判なんか知っておきたい気持ちもあるね。よくあることだけど、男の人が何人か集まると意外と会社の中の愚痴や職場の上下間を知ることが出来て参考になるかもね」
「サラリーマン社会で生き抜いていくことは大変ね。うちは個人事業主だから対人関係の複雑さは全くない。それも寂しいでしょうね」
と美代子は二人との違いを理解して自分の無関心さも気づかされた。