【前回の記事を読む】「生き地獄だった」優秀なお嬢様が抱えたヒミツは誰にも明かせず…

第三章 ぽんこつ放浪記

1.母の呪文:母と娘のキツイ関係

母の呪文

母が私を身ごもって間もなく、父の浮気が始まった。父は浮気相手を変えるたびに新車を買い替えるので、また違う女ができたことがばれる。浮気、飲み屋のはしごに加えて、ゴルフ、カメラ、釣り、父の高級ブランド趣味、彼は収入のすべてを使いきる。生活費は父から一銭も出ていなかった。

私は祖母の貯金と母の財テク、同居する看護師の伯母のお給料で育てられた。子ども心にも何となくそんなことはわかっていたから、専業主婦にだけはなりたくないと思うようになった。母のような苦労をしたくない、男に翻弄されたくない。女性でも自立でき、結婚・出産しても続けられる資格を持った職業に就こうと決めていた。

「女に学歴は必要ないべや」

そんな父に、一度だけ高校進学について相談したことがあった。その時に父から言われた言葉は今でも忘れない。「女に学歴は必要ないべや」の一言だった。腹が立った。コイツに相談したのが間違いだった。私は大学に進学することを決意して進学校に行くことを決めた。こうして私の学歴こだわり人生は始まった。そして、一生独身で職業婦人で生きていく! と決めた。

母も同じ思いであったという。習い事はすべて高校までやめずに続けた。ピアノは先生に指を叩かれ嫌だったけど、何時間も練習し発表会も出た。お茶も次々と免許状を獲得し、書道も展覧会に出品するほど熱心に続けた。中学校からは学習塾にも行った。優等生の私は、成績は学校でも市内でもトップクラスだった。

でも、常にトップの子は並外れて優秀で、上には上がいた。ただ、成績が何番だろうと母がそれで喜んでくれたことはない。それでいて「自慢のお嬢さん」と言われるのを喜ぶ母のため必死だった。しかも、母は勉強ができない子の世話まで暗黙に要求した。小学校では、同じクラスに授業中におしっこを垂れてしまう子、忘れ物をしてくる子も多く、私は毎日その子たちの世話係。

トイレに連れて行き、おっしっこ漏れを受け止める座布団を持って学校に通っていた。忘れ物をしてくる子たちのために鉛筆も消しゴムもノートも、その日必要になる学習用品のすべてを二倍カバンに詰めた。だんだん重くなり、ある日、ついにかばんの紐が切れた。中身が地面にこぼれ落ち、泣きながら詰めて家に戻ると、母は

「もっと大きくて丈夫なカバンに替えようね」

と優しく言った。「うん」と言ったのを覚えている。そして、かばんは益々大きく丈夫なものに取り替えられた。強制労働のような学校生活だった。