中田は朝食の時、隣の席のNに、明け方の太鼓の音を聞いたことを話してみた。Nも聞いたようだったが、中田のような興奮はなかったらしい。Nは関東で農業をしているそうで、海外のツアーを楽しみに仕事をしているという。海外では腹6分目ということを中田に教えてくれたのはこの人であった。
ルンビニーはネパール南部のタラーイ盆地にあり、亜熱帯で、標高は200mくらい、1997年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。
朝食が済んで中田たちはバスでルンビニー園の遺蹟に向かった。バスはわずかの時間で駐車場に着いた。バスを降りて中田はルンビニーの空気を胸一杯吸った。駐車場の回りには数珠や小さな仏像や絵葉書等を売る露店が沢山並んでいる。木々は見えたがビルの建物は視界に入ってこなかった。遺蹟は、はてしなく広い、ゆったりとした公園のように感じられた。
中田たちは、まず、白い外壁のマーヤー夫人堂に入った。中は10人も入れば一杯である。中央の像は、14世紀であろうか、イスラム教徒により破壊されたという。右端に浮彫があった。レプリカであるが、ゴータマの生母マーヤー夫人、その右に、右手を天に向け左手で地を指差した子供が彫られている。生誕直後のゴータマである。
そこを出て敷地を歩いた。通路には石が敷かれていて、褐色の煉瓦を積んだ、建物の土台のようなものが散在していた。
四方に枝を伸ばしている菩提樹の大木があった。樹から何本もの綱が放射状に張られ、綱には四角い小さな旗が間隔を空けずに下がっている。タルチョという、チベット仏教の祈禱旗であろうか。
樹から10mほどのところに、長方形の、石で縁をとった池があった。ゴータマの産湯に使った池だそうで、後世に整備されたものであろうが、1931年に発掘されたそうである。
アショーカ王(紀元前304年―232年)の建てた石柱が石畳の中にあった。アショーカ王はインドにおける最初の古代統一帝国をつくりあげたマウリヤ朝(紀元前317年―180年)第三代の王で仏教を保護した王として知られている。石柱の高さは7m程で、パーリ語で「シャカムニ(釈尊)はここで生まれた」と書いてあるという。この石柱が発見されたのは1896年であるという。