【前回の記事を読む】「私にとってはヒーローだから。」この人とやっぱり恋に落ちたい...
第一部 私と家族と車イス
ともに永遠に
お付き合いがはじまり、逆にあのときは横にいるだけで良かった。毎日悪夢ばかり見て、前の彼への恐怖心が勝り、毎日がトラウマとの闘いだった。
一緒にいて楽しかった。優しさと逞しさに一生を捧げて一生そばにいることを2010年、誓いあった。特別裕福な家庭で育ってたわけでもなければ、次女でもあり、なんにも持っていない私を選んだのか。実は今でも本当にわからない。ただ私は密かに夫の背中に隠れていたいという理想をもって彼と一生を……と実は理想はメルヘンだった。
お付き合いを始めたきっかけは本当に急展開だったが、永遠を誓う私たちは結婚した。
新婚旅行も行かなければ子どもが生まれてからも家族での遠出も無縁な核家族。そして、旦那は女の買い物は大嫌いであまり付き合うこともなく、理想の夫婦像や家族像とあまりにかけ離れていた。共働きも当たり前だと、厳しくしつけられていた感覚だ。
だが、私には厳しい夫は義祖父母へとても優しかった。そして忠実に話を聞いていた。生まれた長男を見ながら、いつも夫へ「子は、宝じゃよ」とやんわりと語りかけ義祖父母の死は辛く落ち込み、その重圧や悲しみをいつもかき消すかのように飲酒に逃げているようだった。子は宝を復唱するたびに胸が熱くなるのか呑みながら、よく夫は泣いていた。
心の芯はとても優しく人間くさく、時が経つごとに、厳しくも愛のある人柄だと確信した。夫の決まり文句に順従な私は、仕事に家事にさらに育児とミッションが増えたように感じながらも、たまにランチへ行くことが夫婦のひとときだった。
付き合うきっかけはすごい急展開だったからこそ互いの価値観や、生き方、考え方、愛の育み方すべて異なる対照的なふたりでも、亭主関白な夫が中心にいる家庭だった。人をすぐ信じやすい私の性格に厳しく忠告してリードしてくれるし、指摘はしっかりしてくれる。
夫の歩調に合わせながら生きている私の距離感が、近づいても離れても、なんとなく欠かせない存在がなぜなのかはわからないままだが、人間くさい夫婦が構築した昭和と平成を兼ね備えた核家庭であるような気がする。