「ところでパパ、アレ、なんだかな?」
丹念に編み込まれた三つ編みを右手でいじりつつ、蘭が言った。見ると、左手の人差し指でどこかを指差している。赤いレンガ造りの外観が印象的な洋風の大きな建物のようだ。
親バカで恐縮だが娘はパパっ子だ。物心ついた頃からオレの言動を真似するようになった。トーンの高い口調と仕草がかわいくて仕方がない。今年で七歳。良くも悪くもオレになついている。家を空けることの多かったキャリアウーマンの母親代わりといってはなんだが、娘のヘアアレンジを担当していたのがよかったのかもしれない。
この日、故郷の福岡県北東部にある小さな田舎町、椎田町――現在は築城町と合併して築上町――までついてきてくれたことは何よりもオレになついている証しだと思っていた。
オレはスマホでその建物をネット検索した。【築上町文化会館コマーレ】。ギリシャ語で【温かみのある、人の集まる所】という意味らしい。オレは大学四年のときに帰省した際、通りすがりに外からチラッと一度見ただけなので、建物の名称を覚えていなかった。
「マコーレーだって」
わざと間違えて言うと、蘭に見透かされたのか「それはクリキントン」とつっこまれた。
こうした掛け合いができるのも娘がパパっ子である証しのひとつだと思っている。妻と娘がボケとツッコミの絶妙な掛け合いをしているところを見たことがない。そもそも妻はあまりボケないこともあるが。
「よく冗談だとわかったね。本当はコマーレっていうんだ。でもなんでマコーレー・クリキントンのこと知ってるの?」
「ケリーおばさんがね、マコーレーが死んだ。オーマイガッ! と騒いでたの」
「ははは。ミーハーなおばさんらしいや」
ケリーおばさんとは、ロサンゼルスに住んでいたときにお世話になったお隣さんだ。子供好きの世話焼きで蘭が小さい頃に子守を頼んだことが何度もある。マコーレー・クリキントンの死亡説が流れたのを、ケリーおばさんは鵜呑みにしていたのかもしれない。
「ミーハーって?」
蘭に尋ねられ言葉に詰まった。なんて言えばいいのだろう。うまく説明できない。そういえばミーハーって言葉、最近耳にしないかも。死語? そう思うとちょっぴり恥ずかしくなる。
「モリナガのこと? そういう歌あるでしょ。アレ、いいよね」
オレが答えられないでいると、続けて蘭が聞いてきた。モリナガとは森永美里を指しているのだろう。『ミーハーズ』は彼女の持ち歌だ。オレは物持ちがよく、昔よく聞いていた歌謡曲のCD、カセット、レコードを今でも大事に保管しているのだが、蘭がこっそり聞いていたとは思いもしなかった。
「正解といえなくもないけど、ちょっと違うかな。ていうか、森永さんに失礼だぞ。それにパパのもの勝手に触っちゃダメじゃないか」
「ごめんなさい」
蘭がシュンとなる。キツイ口調で叱ったつもりはないが、娘には辛かったようである。むしろその事実は、オレを喜ばせた。娘が父親の趣味を気に入ってくれたなんて。
「これからはパパにひと言言ってね」
蘭に笑顔が戻るや、オレの記憶のスクリーンに、中学時代の楽しい思い出が不意に蘇ってきて――。