昔のことだけ、記憶が残る母はつぶやく。
「みんなね、苦労してコドモ育てた。近所で助け合ってねぇ。お互い様」
「みんな苦労? 現代は、どこにも見えない」
「ふうん」
珍しく返事がかみ合う。
「近所? 現代は、顔も見たことがない」
「ふうん」
「お互い様? 現代は、幼児ってこの辺にはいないの。お母さん、コドモはね、コモド島でしか見物できないコモドドラゴン」
誰も、二人目を産もうとしない理由がわかった。一人の子が病気になったら、他の子に誰がご飯作る? 怪我して動けない子のために誰が食料を買いにいく?
高齢者のためには、食事作りも買い出しも行ってくれる人が、公のお金で来てくれるのに。
公のお金を捻出する若い人がバカを見るシステム。
新聞で読んだ。税金と社会保障に支払ったお金、国中で、半分以上が高齢者のために費やされている。教育より、研究開発より。消防隊も警察も老人会になる。
ゴヤの有名な絵画を思い出す。サトゥルヌスとかいう老人が子どもを喰らう。
初めて見かけたときは昔の画家が描いた遠い国の神話でしかなかった。有り得ない残酷さだと思った。有り得る、ここに、有る。あの古い絵では子ども一人、老人一人。
今、一人の子どもを数えきれない年寄りが食い千切ってる。食ってることを認知せず。