日本とブエノスアイレスの景色はあまりにも違う。何週間たっても、異国の景色に飽きることはない。
通りを歩いていると、歩道の敷石が上手くはまっていないところがいたるところにあって、うっかりその上を踏むと、水が跳ね上がって足首あたりまで泥水を引っ被るというようなことがある。雨がしょっちゅう降っているわけではない。ビルの掃除人が毎朝ビルの玄関を水をふんだんに撒き散らして掃除しているのだ。
もちろん、違うところばかりではないけれど、違うところばかりが気になる。その昔はタンゴのリズムが響き渡ったかもしれない舞台の上で、トモコさんと日本語で会話する。トモコさんは髪をときどきくるくると指で丸めながらしゃべる。コーヒーには砂糖もミルクもたっぷり入れる。一口を味わうようにゆっくり飲む。わざとそうしているのか、芝居がかっている。
舞台の上では、さまざまな言語が飛びかっている。中国語、韓国語、スペイン語、英語、それ以外の言葉は聞こえていても何語かはわからない。
「さてと、ちょっと歩こう。歩くの大丈夫? 今日はこの辺りガイドする」
「歩くのは平気。大好き。最近は、朝、アパートの近くを散歩してる。朝の散歩は私の日課だから」
「カメラ持ってないでしょうね」
「もちろん。鍵だけ持って、スニーカーとジャージで歩いてる。毎日会うおばさんと顔見知りになって挨拶してる。おはようって」
「油断しちゃダメだよ。お金は少しは持ってたほうがいい。何かあったときのために、ポケットに入れときなさい」
そう言って、トモコさんは立ち上がってコートを羽織る。私も慌てて立ち上がった。
私たちは、レコレタ地区と呼ばれているところを歩いた。ビルが立ち並ぶ通りを歩いていくと、いきなり公園にぶち当たる。そしてその先はずっと公園だった。エビータが眠っているという高級墓地を歩いた。トモコさんは、ちゃんといろとりどりの花で飾られたエビータの墓の前まで連れて行ってくれた。
教会の前を通り過ぎ、公園を突き抜けると、国立美術館がある。トモコさんはもう見飽きたからと言って外で待っていたけれど、無料で入ることができるというので、私は当然中に入る。レンブラントもゴッホもあった。外に出て周囲を見回して市内巡りの観光バスで通ったことがあると気づいた。大きな銀色に輝く金属製の花が目にとびこんでくる。トモコさんはボソッと、
「写真撮らなくていいの?」
と聞いた。
「トモコさんとお茶飲むのに、カメラなんて持ってこないよ。カメラを持ち歩くなと言ったのはトモコさんじゃないの」
「思ったより、律儀だね」
「バスの一日観光の時には、持っていった」
「そうだと思ったよ」
そう言って笑った。本屋でも、エビータの墓の前でも、美術館の中でさえ、カメラを構えている観光客はそこら中にいた。誰もそれを不審な目で見ることはない。