一九九九年 孝子@賃貸マンション
孝子は、子どもできたよって、どう報告するか、これまでの人生で一番、幸せな「悩み」を抱えた。産婦人科を出ると、紅葉が人生で一番、美しかった。赤や黄色の葉に優しい陽光が透けていた。イチョウ並木から落ちた葉が地面を埋め尽くし、黄色い絨毯のように美しかった。これからの自分の人生がこんな色に、黄金色に輝いている、と天にも昇る心地だった。
半年前に桜の花びらで埋め尽くされたピンクの世界を二人で歩いた。今度の休みの日にはこの金色の世界を歩こう。笑顔溢れる幸せな、できれば子どもたちがいる家庭が欲しいと幻想を追っていた。追って、負った。責任を一人で。あの日、産婦人科から彼に電話をかけていれば別の道になっていた、はず。この世に、もし、があるなら。
部屋に戻り、孝一に電話をかける前に電話が鳴った。
「兄ちゃん! イスタンブールから? どした?」
「ウチに久しぶりに電話かけたら、とうさんがノイローゼみたいなんだ。かあさんが徘徊するようになったって」
幸福感が引きちぎられた。そう感じる自分が親不孝だと嫌気がさす。最近、電話をかけていなかった。なんとなく避けていた。老いた親の声を聞き日々の不調を聴くと、せっかく訪れたバラ色の人生に影を落とす気がし、遠ざかっていた。そう思うたび罪悪感に苛まれた。お父さんは
「かあさんも、孝子が幸せなら何もいらない」
と微笑むに決まってる。だからといって見捨てるわけにはいかない。弱々しく悲しそうなあの表情が私の人生を支配する。
親孝行しても、しなくても、この心の底に鉄鋼の板がある。その板と、心の宙で翼を広げる渡り鳥の脚はへその緒でつながっている。居心地のいい南へ、北へ、地平線を越え水平線を越え、未来に渡ろうとする鳥。逃げようとする鳥。
私の子どももお父さんに似るかもしれない。いつ、わかるんだろう。いつ、覚悟ができるんだろう。おばあちゃんみたいに広い強い心で我が子に接していけるかな。迷ってる場合じゃない。育てるしかない。
「悪いけど」
兄ちゃんは心から申し訳なさそうに頼む。
「見に行ってもらえないか? 忙しいのはわかる。でもできるだけすぐに行ってくれると安心できるんだけど」
「わかった。今日、休み取ってた。今からいく」
「助かる。これから先、ものすごくカネかかるよな。いろいろと。徘徊老人の賠償責任のこと、こっちのニュースにもなった。ウチの三人の子たち、私立小学校に通わせてるからさ、家族会議する。転校は大反対されるだろうけど。公立学校は授業数が少なくて」
徘徊。その言葉が溶岩のように迫って来る。絶望的。これで彼を親に紹介したくない理由が増えた。