十四 雪が大好きな私が南方へ

東南アジアの国々には、元々いろいろな偏見があった。マゼラン一行が世界一周の航行中に、そのマゼランを殺したのがフィリピンの原住民。

私が社会人になってすぐに、政治家ニノイ・アキノが帰国直後空港で暗殺。私が大嫌いだった父の大東亜戦争における最初の戦地がフィリピンのセブ島。日本に来るフィリピーナのほとんどが、ダンサーに扮した売春婦(と思っていた)。ベトナムやカンボジアは長年戦乱の地だったため、あちこちに浮遊霊がいそうで怖い。肌が浅黒く、貧しく物乞いだらけで、民度も低いみたい。

でも、特にフィリピーナたちに対する印象は、今はもう完全に変わってしまった。お金に対する執着心は強いが、それは元々国自体が貧しく、多くの家族を養わなければならないからである。日本のおねえちゃんのようにビジネスライクではなく、いい意味でいい加減でかつ情熱的・献身的である。

フィリピンはマゼラン一行の上陸あたりからスペインに植民地化され、その後米西戦争・米比戦争を経て、しばらくの間アメリカの植民地であった。そのため、アジアでは珍しく欧米人の血が流れていて、ハーフやクォーターが多い。

話を聞くと、祖父母か父母かがスペイン人というフィリピーナが多かった。ファミリーネームもサンチェスやゴンザレスやロドリゲスなど。また、日本のように正座をする習慣がないので、脚も真っ直ぐで綺麗である。欧米の影響か歯を綺麗にしており、目も二重で大きい。ラテン系のノリで、恋も情熱的で激しい。

私の主な趣味の一つにスキーがあり、いずれは冬のカナダや北欧に行こうと思っていた。そのため、なおさら南方へ行こうなどとは全く思っていなかった。余談であるが、私の前世は北欧スカンジナビア半島にいたと確信を持っている。結婚二年目に行ったノルウェーでは、不思議で強烈なデジャブを経験した。