美代子と美月は自由が丘の市場にいた。
「ここの“魚清”というお魚屋さんが新鮮な魚介類が揃っているんですよ。ほら、賑わっているでしょう。皆知っているんですね。遠くからでも買いに見える奥様達が大勢いらっしゃいます」
「美月さんは毎回ここまで足を延ばしてこられるの?」
「いいえ、普段は地元の八百屋さんやスーパーで間に合います。たまに気分転換を兼ねて来るんですよ」
「そうですよね。地元だけの行動半径だと息が詰まりますものね。その気持ち私もよく分かります」
「そうですか。理解してくださる方がいらっしゃっただけでも嬉しいです」
美代子は洋服のポケットから一枚のメモ用紙を取り出し、今日のパエリアに使う魚介類を書いたメモを見ながら、目の前に並んだ魚介を見渡しながら籠に入れた。
そばで見ていた美月が、美代子の顔を覗き込みながら、「必要なものは全部ありますか?」と尋ねた。
「今日は少し贅沢をしてみようと思うの。いろんな魚介が入っていた方が深い味が出せるから試してみましょう。アンダルシアで食べた本場のパエリアを超えるかもね」と茶目っ気一杯の表情をした。
美月は、嬉しそうに食材を選んでいる美代子の姿を見て、悠真夫婦には子供がいないし、主人が障害を持った人だから、人には言えない悩みを抱えながら日々送っているんだなと密かに思ってしまった。
「美月さん全部揃ったわ」籠の中に入れたものを一点ずつ指しながら、
「ムール貝、アサリ、ワタリガニ、有頭エビ、白身魚、ヤリイカ、あとは鶏肉と野菜類ね」
お店の中で美代子の買い物を見ていた“魚清”の旦那が「奥さん、今日はパエリアですか? これを持っていきなよ」と言ってパエリアの素を一つくれた。
美代子は「丁度これから買い求めようと思っていたから助かったわ。ありがとう」
鶏肉、野菜を仕入れた後で、二人はさっき来た市場の入り口方向に歩き始めた。