アメリカに初上陸した際、空港で即座に行われた記者会見。
「挨拶がわりに一曲歌ってくれませんか?」
「まず金が先だ」
記者の要望にジョンが答えた一言。ここからビートルズのアメリカ旋風が始まります。
ビートルズは三日連続で『エド・サリバン・ショー』に出演。アメリカの人口の約六割(視聴率七二パーセント)がこの放送を観たと言われ、放送中の青少年犯罪はゼロ件だったようです。
「音楽は世界を変える」このようなフレーズはよく耳にしますが、実例はないかと思います。ただ、もし実例を挙げるとするならば……と、思ってしまいますね。
この年四月四日のビルボード・シングル・ヒット・チャートです。
一位『Can’t Buy Me Love』
二位『Twist And Shout』
三位『She Loves You』
四位『I Want To Hold Your Hand』
五位『Please Please Me』
一位から五位までビートルズが独占。二〇二二年現在、未だ破られぬ不滅のギネス記録です。この時期に行われたワールド・ツアーでは、二十七日で三十七ステージ。アメリカ二十三都市で三十ツアー。世界へと羽ばたいたビートルズは、一瞬にして世界を席巻してしまったのです。
「プライベートで行くなら、アメリカとイギリスどっちが良い?」
記者の質問に対し、
「僕達にプライベートなんかないよ」
ジョンのユーモアと皮肉入り混じる返答ですね。
この年、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』リリースの前年、六十二年に結婚をしていた、ジョンと妻シンシアとの間に、息子のジュリアンが誕生。ローリング・ストーンズのデビュー。ビーチ・ボーイズ『サーフィンU.S.A』をリリース。ボブ・ディラン『風に吹かれて』をリリース。それは後のビートルズに大きな影響を与えることとなります。